世親とサーンキヤ
その8
サーンキヤ思想解明の意義 II
〈雨衆外道とは何か?-『倶舎論』との関わりを見据えて〉
引き続き、サーンキヤ思想考察の意味を確認しておきたい。先に簡単に触れたが、世親作『倶舎論』では、第3章「世間品」と第5章「随眠品」で、サーンキヤ批判が展開される。そのうちで、雨衆外道の名が出るのは、「随眠品」の三世実有論批判の渦中である。次のように、言及されている。
さて、〔いつ何時でも、結果をもたらす〕一切合切(sarvam eva,thams cad kho na)が存在するならば、現時点で(idanim,da ni)「何が、何に対して、作用するのか?」〔という作用の個別性に関する疑問が沸く〕。〔一切合切が存在する〕そうなると、〔サーンキャ学派と目される〕雨衆外道(varsaganya,lo rtsi ba pa)の主張を闡明することになってしまう。〔彼らの主張は〕「存在するものは、必ず、存在する。非存在のものは、絶対に、非存在である。非存在のものにとっては、〔何かを〕生み出すこともない。存在するものにとって、消え去ることもない。」である。
atha sarvam eva casti/kasyedanim kva samarthyam/varsaganyavadas caivam dyotita bhavati “yad asty asty eva tat/ yan nasti nasty eva tat/asato,nasti sambhavah/sato nasti vinasah” iti(P;p.301,ll.1-3,S;p.643,ll.6-8、サンスクリット原典ローマ字転写)
yang thams cad yod pa kho na yin na da ni gang la gang zhig nus te/de lta na lo rtsi ba pa rnams kyi rtsod pa skad du gang yod pa de ni yod pa kho na ‘o//gangmed pa de ni med pa kho na ‘o//med pa la ni skye ba yang med do//yod pa la ni ‘jig payang med do zhes brjod pa yin no//(北京版、Gu,284a/2-3、チベット語訳ローマ字転写)
一切法一切時有誰於誰有能生功能、又応顕成雨衆外道所党邪論、彼作是説有必常有無必常無、無必不生有必不滅。(玄奘訳、佐伯旭雅『冠導阿毘逹磨倶舎論』II,平成5年、rep.of 1978,p.842,ll.2-4)
若如汝所執一切皆有、今於何法何処、応有功能。若執如此、婆沙乾若義即被随順、彼言、若有必有、若無必無、若無不生、若有不滅。(真諦訳、『毘逹磨倶舎釈論』大正新修大蔵経、No.1559,p.259b22-24)
玄奘訳に「雨衆外道」とあり、こちらが一般に流布しているものであるが、真諦訳では「婆沙乾若」という音写語である。そして、恐らく、チベット語訳では、lo rtsi ba pa rnamsで、強いて訳せば、「年を数える者達」となろう。varsaには、「雨」という意味も「年」という意味もある。ganyaには、「数えられるべき」という意味があるし、似たようなことばganaには「数」「衆」という意味がある。