「倶舎論」をめぐって
LXXXIX
もう1つ私が『アビダルマ灯論』捏造説を提示する理由は、世親の『三性
論』を批判している、という指摘である。三友博士は、こう述べている。
〔『アビダルマ灯論』で批判される〕「説一切有部から堕落した方広論者」とは、大乗へ転向した世親を指すことがJaini博士によって論証されており、ここでいうところの三自性が世親の著作とされる『三性論』(Trisvabhava-nirdesa)を指していることも、Jaini博士によって指摘されている。(三友健容『アビダルマディーパの研究』平成19年、p.208、〔 〕内は筆者の補足)
『三性論』は、世親の真作とされ、例えば、『大乗仏典15 世親論集』にも収録されている。しかし、その出自は、極めて怪しい。『三性論』は、一方で龍樹作とも伝えられ、謎のような文言が混入しているヴァージョンもあるのである。それに、世親の他の著作『唯識二十論』や『唯識三十頌』とは、明らかに、用語の使い方が異なるのである。少しく、その辺の問題を語ってみよう。『唯識二十論』等では、依他起性などの性(svabhava,スヴァバーヴァ)は、チベット語訳で、必ず、ngo bo nyid(ゴーボー二―)と訳すが、『三性論』ではrang bzhin(ランシン)とする。意図的に訳語を変えているのである。rang bzhinとすれば、如来蔵的な三性理解になる。従って、『三性論』は、如来蔵的立場に立つ後世の捏造である可能性が高い。そんな『三性論』を批判しているとすれば、『アビダルマ灯論』も十分に後世の捏造である可能性が伺えると思う。以上は、論証していない単なる私の感想である。三友博士の著書についていえば、本書は1000ページを越える大著で、詳しい研究史を示し、索引も充実している。アビダルマ研究に役立つものであることは、間違いない。