日本人の宗教観ーある観点ー

その2 
さて、三崎氏は、この思想を以下のように説明しています。
 すなわち、日本特有の美意識のうちには、天台(てんだい)止観(しかん)で修練したればこそ可能であるような、”ものの実相(じっそう)を静かに照らすまなざし”がある。そういう”止観的美意識”の源泉はわが伝教(でんぎょう)大師(だいし)最澄(さいちょう)以来の止観行にあり、…そこにはいわば”美のさとり”というような美学的に解明されるべき論理が想定されるのである。(三崎本、p.60,ルビは私)
三崎氏は、本覚思想とは言わず、止観行・止観的美意識と呼びますが、同じ事を意味します。日本の芸術の背後に、本覚思想、あるいは止観的美意識が存在していることは確かです。そしてこの段階になると、先に示した『平家物語』中の本覚思想を越えて、究極的な思想へと発展していきます。その説明に入る前に、いくつか基本的事項を整理しておきましょう。
まず、最澄(767-822)は、弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)(774-835)と並ぶ平安仏教の巨頭です。彼が、比叡山延暦寺を開きました。その宗派名を、天台宗と称します。止観とは、止と観に分けられます。止とは、心を何かに集中させること、観とは集中した心に基づいて、観察することを言いま
す。止は静、観は明とも訳します。1種の瞑想(めいそう)です。天台宗でよく実践されるので、三崎氏は天台止観と呼んでいるのでしょう。この天台宗は、もともとは中国にあったもので、それを最澄が日本へ導入しました。中国天台の開祖は、智顗(ちぎ)(538-597)と言います。智顗には『摩訶止(まかし)観(かん)』という著書があり、最澄はその書の影響もあって、止観を重要視しました。
 ところで、文化と宗教という面とは直接関わりがないかもしれませんが、本覚という考え方を生んだ1番の火付け役についても、あらかじめ説明しておかねばならないでしょう。必要な知識と思って下さい。本覚を人々に知らしめたのは、『大乗起(だいじょうき)信論(しんろん)』という書物です。本書は、明治時代、仏教哲学を示すものとして、最初に講義で採用されました。それほど、中国・日本仏教には甚大(じんだい)な影響を与えたのです。しかし、もともとインドで書かれたのか、それとも中国で新たに作られたのかも不明な不思議な書物なのです。本書について、碩学(せきがく) 平川(ひらかわ)彰(あきら)博士は、以下のように言います。
 『大乗起信論』は漢訳だけがあり、サンスクリット原典も、チベット訳も存在しない。インド仏教で『起信論』を引用している論書も見あたらない。(平川彰『仏典講座22 大乗起信論』昭和48年、p.16)
これでは、「インド撰述(せんじゅつ)」(インドで著作されたこと)などあり得ないように思いますが、平川博士は、これを否定します。博士は言います。
 私は『起信論』は「インド撰述」であると見て差支(さしつか)えないと考えている。…『起信論』の内容を見ても、細かな点でインド仏教の教理や教団の実際の在り方と合致している点が多く、六世紀の中国仏教徒の学殖(がくしょく)をもってしては、到底(とうてい)書き得なかったと思われる点が多い。経典(きょうてん)の引用なども、そのままの文章で漢訳経典に見出されるものは、ほとんどないのである。しかし趣意(しゅい)は見出されるのであるから、原著において引用されていた経文(きょうもん)を、訳者がかなり自由に訳したものと考えるのが妥当である。(平川彰『仏典講座22 大乗起信論』昭和48年、pp.31-32、ルビは私)
最も新しい研究では、「インドか中国か」という2分法は取られてさえいません。石井公成氏は、講演録で、こう述べています。
 これまでは漢訳経論(きょうろん)については、インドの真作(しんさく)か中国の偽作(ぎさく)かという議論が盛んでしたが、そのような二分法は古いと言われるようになってきました。つまり、現在では、漢訳経論とされているものの中には、インドのお坊さんが中国に来て講義したものを弟子が編集したもの、またはインドのお坊さんが下手な中国語で書いたものに弟子が手を加えたもの、といった形態もあることを認めるべきだ、という説が出てきているのです。船山徹さんなどがそうした点を強調しており、『起信論』もそれに近い性格を持っているというのが、大竹晋さんと私の立場です。(石井公成「近代日本における『大乗起信論』の受容」 龍谷大学 アジア仏教文化研究センター2012年 度第10回 全体研究会 発表原稿、p.82、ルビは私)
この辺(あた)りの思想的経緯は、そう単純ではありません。仏教とインド思想との深い関わりを示唆(しさ)する宮元啓一博士のいうところを聞いてみましょう。博士はこう述べています。
 〈インド思想中、最も名高い学者である〉シャンカラによれば、この世界は世俗よりすれば真ですが、勝(しょう)義(ぎ)〈=究極的な真実〉よりすれば誤りだということになります。世界は幻影、虚妄(こもう)ですから、そして輪廻(りんね)〈生まれ変わり〉というのはこの世界の中の出来事ですから、無数の個別的自己が輪廻するというのも幻影、虚妄です。勝義よりすれば、輪廻などないのです。ですから、勝義よりすれば、輪廻からの解脱(げだつ)もありません。あえていうとすれば、私たちは、永遠の昔からすでに解脱しているのだ、ということになります。ですから、〈シャンカラの説く〉不(ふ)二一元論(にいちげんろん)では、勝義よりして、解脱のために祭祀(さいし)を執行したり、いわゆる修行をしたりする必要はまったくありません。修行不要論なのです。(そもそも、修行という行為〔カルマン、業〕は、輪廻の原動力にしかならないとされます。)必要なのは、自分がすでに永遠の昔から解脱しているのだということに「気づく」ことだけです。この「気づき」に必要なのは、聖典と師の教えに完璧に得心がいくことです。こうした考えは、実は、シャンカラよりも以前の中期大乗仏教(西暦紀元後四~六世紀)にも見られます。『大般(だいはつ)涅槃経(ねはんぎょう)』は、すべての生類(しょうるい)は仏性(ぶっしょう)(ブッダター、仏となる本性的な素質)を具えていると説きます。これがさらに進み、如来蔵(にょらいぞう)系の経典では、すべての生類は如来蔵(tathagatagarbha仏の胎児)であり、うまくみずからを育てれば、間違いなく仏へと成長すると説きます。その後、引き続いて、『大乗起信論』の本覚思想が登場します。これによりますと、わたくしたちは、永遠の昔から仏であり続けて今に至っているのであるが、自分にとって外的なものでしかない煩悩(客(かく)塵(じん)煩悩(ぼんのう))によって心という鏡が曇(くも)らされている、その曇りを払って自分の真の姿に気づくこと、これを始(し)覚(がく)といい、これが世間でいう解脱(げだつ)に相当するといいます。そして、気づくために必要なのは、大乗仏教に篤く(あつく)信を起すことであるといいます。どうでしょうか。よく似ていますね。時代からして、不二一元論は本覚思想よりも成立が後です。シャンカラが『大乗起信論』などを読んで本覚思想を知っていたかどうかは不明です。しかし、たとえシャンカラが大乗仏教の本覚思想を知らなかったとしても、それ以前の大乗仏教からシャンカラは多くのものを借用していますから、その延長線上に、偶然にではなく、いわば必然的に『大乗起信論』と同じ考えにたどり着いたと考えることも可能でしょう。(宮元啓一『インドの「一元論哲学」を読むーシャンカラ『ウパデーシャサーハスリー』散文篇』2008,pp.35-37,〈 〉内・ルビ私)
つまり、本覚思想とそっくりな考え方をインドの有名な聖者がしていたということです。最近では大竹晋氏が、『大乗起信論』はそれまでの漢訳文献をつなげて制作されたということを論証しました。新たな成果です。
また、ここには、本覚と同じ内容を示すものとして、「如来蔵(にょらいぞう)」という言葉が出てきます。ついでに、頭の片隅に入れておいてもらえれば結構だと思います。


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