「倶舎論」をめぐって

LXXI
さて、もう1つの綱要書的な注釈は、実は、作者にも問題があるし、書名にも問題がある。従来は、『倶舎論偈釈(Abhidharmakosasastrakarikabhasya,アビダルマコーシャシャーストラカーリカーバーシュヤ)などと呼ばれていたが、福田琢氏の書評では、メイヨール説に従い、『経相応(sutranurupa,スートラアヌルーパ)と呼ぶことをすすめている。(福田琢「書評・紹介 Marek Mejyor:Vasubandhu’s Abhidharmakosa and the Commentaries Presented in the Tanjur」『仏教学セミナー』6,1994,p.79)
実際に、北京版の注釈の末尾には、don dang mthun pa(ドンタントゥンパ)とあり、これは還梵すればsutranurupaなのであろう。作者は、ヴィニータバドラ(Vinitabhadra)とする説とサンガバドラ(Samghabadra)とする説がある。サンガバドラとは、『順正理論』の著者で、漢訳名衆賢である。これはチベット語訳の際、2通りに名前が訳され、どちらも可能性があったために生じた混乱である。その混乱から、この注釈を衆賢のもう1つの代表作『阿毘達
磨顕宗論』に該当させる事態も起こった。櫻部博士は、はっきりこう述べている。
 事実は、この論の内容は全く〔衆賢の〕顕宗論と関係なく、ただ倶舎論の一種の省略本に過ぎないのである。(櫻部建「アビダルマ論書雑記一、二(二)」『毘曇部第十三巻月報 三蔵105』昭和50年p.99)
さらに博士は、こう続ける。
 ヴィニータバドラによるこの抄論は、原『倶舎論』を約半分の量に切り縮めたもの、といえるのである。したがって、ヴィニータバドラの論は、全文、ほとんどそのまま、世親の『倶舎論』の中に見出される一方、『倶舎論』の内容の半分近くはヴィニータバドラによって選び捨てられている、というわけである。(櫻部建「アビダルマ論書雑記一、二(二)」『毘曇部第十三巻月報 三蔵105』昭和50年p.99)
しかし、これに反し、メイヨール氏は衆賢作という立場を取っている。福田琢氏の書評によって、メイヨール氏の主張を確認し、それに対する福田氏の批判的見解を見てみよう。
 著者〔メイヨール氏〕は言う。《このSutranurupa〔スートラアヌルーパ〕注の作者は、衆賢であるが、しかしながらテクスト自身はかれの作品のひとつ、おそらく『顕宗論』を編纂し抄出して写したものであり、またその作者は、あるいはチベット訳者(たち)によるものではないか、と考えることはできる》(p.38)しかしこれはいささか強引な解釈と言える。もし作者が衆賢であるとしても、これはやはり『順正理論』や『顕宗論』とは別に作られた『倶舎論』本論の抄本と考えるべきである。(福田琢「書評・紹介 Marek Mejyor:Vasubandhu’s Abhidharmakosa and the Commentaries Presented in the Tanjur」『仏教学セミナー』6,1994,p.79)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?