新チベット仏教史ー自己流ー
その6
もう少し、因明路線でツォンカパを追ってみましょう。ツォンカパの思想の鍵を握るとされる言葉に「自相によって成立するもの」があります。彼は、これの認め方に中観としての区別があるとしました。ここに出てくる「自相」はよく「自性」と同義とされます。しかし、原語は自相がsva-laksana(スヴァラクシャナ)、自性がsva-bhava(スヴァバーヴァ)で異なります。チベット語に訳す場合も、違います。言葉が異なる以上、全く同じ意味であるとは考えにくいものです。どこがどう違うのか?微妙なニュアンスはわかりませんが、意味上重なる場合があったとしても、ケースバイケースで考える必要があるとするのがより合理的判断だろうと存じます。実は、この自相は、因明では実に、重要な言葉です。インドで因明を形成したディグナーガ(Dignaga)は、その主著『集量論(じゅりょうろん)』Pramanasamuccayaで、人間の認識パターンを直観と考察に大きく分け、前者の対象を自相、後者の対象を共相(ぐうそう)と区別しました。それ以降、自相にはディグナーガの影響がつきまといます。さらの、その後を継いだダルマキールティも自相を重要視しました。ダルマキールティ好きのツォンカパがそのことを意識しないわけはありません。この「自相によって成立するもの」の解明もまだ十分ではないはずですが、そこに因明の影を無視することは出来ないでしょう。ツォンカパ自身は、因明に関する著作は残しませんでしたけれど、講義録が伝えられています。
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