因明(インド論理学)
その5
渡辺照宏博士は、本書の特質を次のようにまとめる。
全巻を通じて破邪の部分が多いが、積極的主張が強いのは次の諸点である。1.第8章と第9章における刹那滅論―もともと経量部で一端完成していて、安慧〔唯識派の巨匠、スティラマティ〕も承認し、法称〔ダルマキールティ〕にいたって体系づけられた仏教的世界観でインド哲学史上影響が大きい。2.第17章から第19章にいたる論理学―陣那〔ディグナーガ〕・法称によって完成されたものの忠実な祖述である。3.第23章の唯識説。4.第26章の仏陀論。以上の諸点からも明白であるように、寂護と蓮華戒とは少なくとも本書に関する限りは法称を忠実に継承している。(渡辺照宏「摂真実論序章の翻訳研究」『渡辺照宏仏教学論集』昭和57年、所収、pp.73-74,〔 〕内私の補足)
『真理綱要』は、ダルマキールティ論理学の絶大な影響下で著されているのであるが、『倶舎論』に関連する記述もある。次のようにいう。
TS〔『真理綱要』〕,TSP〔『真理綱要難語釈』〕が倶舎論と密接な関係を持つことはすでに多少触れたが、TS k.243の“偉人たち”(mahatmabhih)に対するTSP129,19ffに“(悪)見の牙に引裂かれ、(善)業の滅するのを観じて、諸の勝者たちは諸法を説きたもう。譬えば、牝虎が子を連れ去るが如し‘とかくの如く、師世親等が’倶舎論‘’七十真実論'等において趣意を明らかにしているので、….”とあるがこれは倶舎論巻三十冠導4a"觀爲見所傷・及壊諸善行・故佛説正法・如牝虎銜子…からの引用である。ここでは世親を師(acarya)と尊称している点に注目しなければならない。TS,TSP全編を通じてacaryaと呼ばれるのは恐らく唯一回の例外(TSP 66,13ffのSuri)を除き、他は世親・陳那・法称を射していると思われることから考えても、寂護・蓮華戒は世親の倶舎論を引証し、経量部の説に賛成しているのである。(渡辺照宏「摂真実論序章の翻訳研究」『渡辺照宏仏教学論集』昭和57年、所収、p.75)