「倶舎論」をめぐって

LXXXXII
 さて、如上の山口博士の手法を受けて、書かれたのが舟橋一哉『倶舎論の原典解明 業品』1987である。これも久しく再版されなかったが、2011年の新装版が2万円で出版された。同書には、序文もあとがきもなく、坦々と『倶舎論』第4章「業品」の訳と、それにコックス対応するヤショーミトラの注『明瞭義』の訳が提示されるだけである。業が、重要な問題であることは、説明の要もないであろう。船橋博士の後を受けて出版されたのが、櫻部博士の第1・2章の訳であった。しかし、同書には、ヤショーミトラ注が加えられていない。恐らく、荻原博士などの先行業績に遠慮したのであろう。櫻部本は、形としては、やや異例のものとなっている。
「業品」に関して、補足情報を加えると、世親は、ここの冒頭付近で、仏教の基本とも言うべき「刹那滅論証」(ksanabhangaprasidda)を論ずる。その重要性に鑑みて、最近の研究動向の一端を伝えよう。最も、網羅的な詳しい研究は、アレクサンダー・フォン・ロスパット(Alexander von Rospatt)氏の『刹那性という仏教教理、本教理の発生と初期の局面世親までの概観』(Alexander von Rospatt;The Buddhist Doctrine of Momentariness A Survey of the Origins and Early Phase of this Doctrine up to Vasubandhu,Stuttgart,1995,Alt und Neu Indische Studien 47)であろう。著書のイントロから、重要と思われる個所を幾つか抜き出してみたい。先ず、氏の優れた点は、刹那滅という概念が、初めから仏教内に定着していた概念ではないことを指摘することであろう。氏は、その重要性に触れるものの、以下のようにいう。
 〔刹那性という〕通常の経験と相反するような教理に大いなる反発を以て、〔読者が〕接しているというのは、驚きでもなんでもないのである。初めて、それが登場した時、仏教僧団の多くの部派が、それに反発したのだ。後に、仏教徒の中に、〔刹那性が〕、地歩を得た時には、バラモンの学派に、強烈に批判された。なぜなら、それは、ある種の永遠なる実体(原子、第1原因、最上に神聖なるもの)を仮定することに反するからである。かくして、シャーンタラクシタは、刹那教理の処理を「刹那性の証明によってのみ、プラクリティ(根本原質)やその他(バラモンによって、主要な実体と想定されたもの)は排除される」という言質で以て、始めるのである。(Tattvasamgraha 350ab:ksanabhangaprasiddhyaiva prakrtyadi nirakrtam/刹那滅の明証によってのみ、プラクリティ等は、一掃される)刹那性問題のこの根本的な重要性の故に、片や仏教徒、片やバラモン間の議論の多くは、この事項に集約される。(The Buddhist Doctrine of Momentariness、p.2,〔 〕内私の補足)


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