「倶舎論」をめぐって
XXVIII
至極、素直な疑問である。舟橋博士は、代々、倶舎・唯識を研究する名家の生まれである。博士は、自身の経験を引き合いに出し、こう語っている。
私の父(船橋一哉)は、「唯識三年、倶舎八年」というのは、「桃栗三年、柿八年」をもじったもので、「唯識は三年かかるが、倶舎は八年かかる」というのは、何れも難解な学問であることを意味し、〔玄奘の法相宗の基本聖典〕『成唯識論』が十巻で三年かかるのなら、『倶舎論』は三十巻であるから、その三倍の九年かかるはずであるのに、一年おまけがしてあって、八年となっているのだと、よくいっていたことを思い出した。確かに
「唯識」は「倶舎のように、法相〔存在の分析〕を一通り知っただけでは理解し難いところが多い。勿論、『倶舎論』にしても、そう簡単に理解できるわけではないが、法相の解釈だけなら、八年かかればある程度はわかるのではないかと思う。それに反して「唯識」は、般若の空思想の上に成り立っているから、通り一辺では中々理解し難いのである。そこで唯識学者の立場からいえば、倶舎学より唯識学の方がむずかしいともいえるのである。(舟橋尚哉「「唯識三年、倶舎八年」考『印度学仏教学研究』46-2,平成10年、
p.77,〔 〕内私の補足)
この博士の唯識贔屓の発言にも、問題点は多いが、日本の仏教界の体質を露にするもではあろう。ともあれ、肝心の例の諺について、博士は、話を中国や日本に限定して、唯識の代表的論書『成唯識論』と漢訳の『倶舎論』のページ数を比較し、1年に20ページ進むと仮定して、かかる年数を割り出すと、「唯識3年、倶舎8年」にピタリと一致すると述べた。しかし、これもゲーム性の高い1種の遊びから導かれた情報であって、決定的なものではない。博士は、論文の後半で、「要するに自分の学問が如何に難解であるかを、それぞれの立場で論じているように思われる。」(舟橋尚哉「「唯識三年、倶舎八年」考『印度学仏教学研究』46-2,平成10年、p.80)と述べ、倶舎学者、唯識学者双方が、己の学問を難しいものと、見せるための諺であるとの見解を、一応、示した。しかし、またも、船橋家の伝統が、この見解を疑わしいものとした。博士は、こう述べている。
私の祖父(舟橋水哉)が『倶舎の教義及び其歴史』の中で、「倶舎は諸教の基礎をなして居ると云われてある通り、唯識を学ぶにしても、倶舎に精通して居らねばならぬ、倶舎を八年間勉強せば、唯識は三年間の研究でよいという」といっている文章に出会った。
私の祖父は倶舎学者であるので、まさか倶舎学者の中からこのような言葉が出るとは予想もしていなかったから、少し驚いた。これでは倶舎学者は「唯識は三年かかり、倶舎は八年かかる」といって、「倶舎」の方が「唯識」より年季が要るというだろうとの私の予想と全く異なってしまう。そこで「倶舎宗は法相宗の寓宗である」といういい方を少し調べてみた。この考え方は相当古くからあるようで、もともと法相宗を学ぶために、基礎学としての倶舎を先に学んだようである。…また『倶舎宗』(船橋水哉述)の項でも、
「倶舎宗、そんな宗旨があるのかと思わるる人もあろうが、其は無理もない話、実はこういう宗旨が独立して行われたのではない。前にもあった様に、寓宗とて法相宗に寄留して居ったもので、支那から我邦へ伝わるにも、やはり法相宗についてきたのである」とあるから、倶舎宗が法相宗の寓宗として学ばれたことは明らかである。そういう点から、「唯識三年、倶舎八年」の諺を解釈するのに、「倶舎八年を学んだ後に、唯識を三年学ぶ」という考えも生まれてきたのであろう。これが倶舎宗を唯識宗の寓宗とする立場から、考えられる一つの解釈である。しかしながら、「唯識三年、倶舎八年」の諺が本来、そのような意で当初から使われていたかどうかについてはよくわからない。(舟橋尚哉「「唯識三年、倶舎八年」考」『印度学仏教学研究』46-2,平成10年、p.81)
博士の祖父の言に導かれて、倶舎と唯識の伝統的な学習方法に基づく解釈を示して、結論としている。未だ、真相は不明である、ということであろう。舟橋尚哉博士のもう1篇の論文は、「唯識に関する一私見―「心意識の問題」と「唯識三年、倶舎八年」について」『仏教学セミナー』65,1997,pp.1-19である。この論文でも、諺の問題は、「今後の課題」としている。とにかく、諺だけが1人歩きして、その初出、意味は、すべて、曖昧なのである。
テーマとしては、面白いかもしれない。ただ、この諺を見るにつけ、私の心に引っかかることがある。荻原雲来博士といえば、知る人ぞ知る、仏教の大学者である。荻原博士は、ヤショーミトラ(Yasomitora)というインド人の著名な注釈書の梵文テキストを刊行した。偉大な業績である。その刊行本に「称友著梵文倶舎論疏について」『大正大学聖語学研究室内 梵文倶舎論疏刊行会』なる小冊子が付いている。その中に、「昔より唯識三年倶舎七年と云う諺があるのも無理ではありません。」という荻原博士の覚書が紹介されている。ここでは、「唯識8年」ではなく、「唯識7年」となっている。荻原博士ほどの学者であれば、8を7と間違えることも考えにくいのである。ここに至って、諺の問題は、さらに、不透明さが増す。巷間に、あまりに、流布しているので、本筋からは外れるが、仏教関係の諺について報告してみた。豆知識程度のこととして、記憶に止めてもらいたい。