仏教余話

その164
紹介したいのは、武邑尚邦『因明学 起源と変遷』である。本書は1986年初版である。長らく絶版であったが、2011年に新装版として再販された。武邑氏は、その序で、こう述べている。
 陣那の〔=ディグナーガ(Diganaga)の『集量論』(Pramanasamuccaya)以前の著書〕『因明正理門論』〔Nyaya-mukha〕や〔ディグナーガの弟子、あるいはヴァイシェーシカ学派ともいわれる〕天主〔=シャンカラスヴァーミン(Sankarasvamin)〕の『因明入正理論』〔Nyaya-pravesa〕、ことに後者を中心とする中国や日本の因明研究は、これ〔=インド〕と全く異なった傾向をもつ論理研究であった。『集量論』は義浄によって漢訳されたと伝えられるが、訳後十四、五年で失訳になってしまった。そのため、いわゆる認識論的論理学としての量論研究は遂に中国や日本では行われなかった。しかし、中国・日本が受容した因明は、仏教研究の基礎として学ばれ、研究されたし、また、その研究は南都北嶺の仏教諸宗派では重要な位置をもち、立義〔リュウギ=仏教教理の質疑応答試験〕という制度の中で位置付けられてきた。そのため、多くの研究者を輩出し、研究書が作られた。(武邑尚邦『因明学 起源と変遷』2011新装版、p.i、〔 〕内私の補足)
ここで言われているように、中国・日本の「仏教論理学」研究は、『因明入正理論』が中心であった。この書は、論争上の過失等に焦点を当てていて、インドでは、到底、権威となるべき価値のないものであったろう。インドにおいて、「仏教論理学」は、解脱達成に不可欠な学問として、確固たる地位を占めたが、その内実は、恐らく『因明入正理論』からは伝わらないと思われるからである。ダルマキールティの『量評釈』Pramanavarttika「量成就」pramana-siddhi章で、1種の解脱論が詳細に論じられていたことを、中国や日本の僧達は、知る由もなかったのである。そのような状況下でも、「仏教論理学」=因明の研究が盛んであったのは、僧侶となる資格試験があったからである。因明は、論議・論争のための有効な手段と考えられていたのである。

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