「倶舎論」をめぐって
それだけに、考察しがいのある学僧なのである。一応、著名なる世親伝からサーンキヤとの因縁を示す部分だけ紹介しておこう。
仏の滅後、900年に至って、他学派のヴィンドゥヤヴァーシン(頻闍訶婆娑、Vindhyavasin)という名の者がいた。ヴィンドゥヤ(頻闍訶)これは山の名である。ヴァーシン(婆娑)は「住む」と訳せる。この他学派の者が、この山に住んでいることに因んで、名付けた。龍王がいて、ヴァールシャガンヤ(=雨衆外道、毘梨沙迦那、Varsaganya)という名であった。頻闍訶山の下の池の中に住んでいた。この龍王は、よく、サーンキャの学説(僧佉論、samkhya-darsana)を理解していた。…〔龍王は〕、それ〔ヴィンドゥヤヴァーシン〕の聡明さを喜び、サーンキャの学説の解説をした。…他学派〔のヴィンドゥヤヴァーシン〕は、この学説を得た後で、心が高慢になり、自らこういった。「この〔サーンキャの〕教えは最高で、これ以上のものはない。〔然るに〕、世の中では、釈迦の教えが盛んであり、皆この教えを偉大なものとする。〔これは、おかしなことであるので〕、私がことごとく論破しよう。」…王様はこの事を知って、すぐ他学派の者を呼び出したという。…〔そして〕、王様は、人を派遣して、国内の〔仏教の〕諸法師に〔論争するかどうか〕問い合わせた。…〔その論争では仏教側が敗れた。それを知った世親は反論しようとしたが〕他学派の者の身体は、既に、石となってしまっていた。世親は、憤懣やるかたなく、すぐに『七十真実論』(Paramarthasaptati)を著作し、他学派の者が造ったサーンキャの学説を論破した5)。
至佛滅後九百年中有外道。名頻闍訶婆娑、頻闍訶是山名。婆娑譯爲住。此外道住此山因以為名。有龍王名毘梨沙迦那、住在頻闍訶山下池中。此龍王善解僧佉論。…嘉其聡明即爲解説僧佉論語…。…外道得此論後心高佷慢自謂。其法最大無復過者、唯釋迦法盛行於世、衆生謂此法爲大、我須破之。…王知此事即呼外道…王遣人問國内諸法師…外道身已成石、天親彌復憤懣、即造七十眞實論破外道所造僧佉論。(大正新脩大蔵経、No.2049,189b/24-190a/28)
さて、ここまでは、多く、世親、そして彼の代表作『倶舎論』にまつわる思想的状況をスケッチしてきた。これからは、書誌学的情報を中心に述べる番である。『倶舎論』とは、一体、どんな書物なのか、なぜ、長い間、大事に研究されてきたのか、そして、どのような研究が蓄積されてきたのか、そういったことを、これから、話していく。