仏教豆知識

その4
雑談ついでに、少々、錬金術に触れておきましょう。話は西洋に飛びます。錬金術の有様を知ってもらうには、格好の人物がいるので、まず、それから紹介してみましょう。
 ニュートンは理性の時代の最初の人ではなかった。彼は魔術師たちの最後の人、最後のバビロニア人にしてシュメール人、そして、一万年に幾分満たない昔、私たちの知的遺産を築き始めた人々と同じ眼で物質世界ならびに知的世界を眺めた最後の偉大な精神であった。(B.J.T.ドブズ『ニュートンの錬金術』寺島悦恩訳、1995年、p.31より孫引き、同書注33)参照、J.M.Keynes,1st Baron Keynes,”Newton,the Man”ケインズ『人間ニュートン』からの引用)
 そもそもニュートンが古代(プリスカ)の(・)知恵(サピエンテイア)に対する信仰を捨て去ったと考えるべき理由は何もなく、古代人は錬金術の秘密を知っていたと彼はずっと思い続けたとみなされなければばらない。(B.J.T.ドブズ『ニュートンの錬金術』寺島悦恩訳、1995年、p.118)
 アイザック・ニュートンは、一六六八年頃から十八世紀の一〇年代ないし二〇年代まで錬金術を研究した。錬金術文献を徹底的に渉猟(しょうりょう)し、分厚いノートに書きため、まとまった論考のいくつかを手ずから筆写しさえした。…ニュートンは現代の科学時代の出発点に立っており、消しようもない刻印(こくいん)をここに遺(のこ)している。彼は門衛(もんえい)、双面(そうめん)神(しん)ヤヌスのような人物とみなされてもよいだろう。というのも彼の顔の一方は今も私たちの方向を凝視(ぎょうし)しているからである。しかしあくまでも一方だけである。新たな年の始まりだけでなく古い年の終わりをも象徴(しょうちょう)していたヤヌス同様、ニュートンは時間的前方のみならず後方をも見ていた。…古代の秘められた(オカルト)叡智(えいち)を求めてのニュートンの努力と、近代科学の基礎を据(す)えた彼のあれらの偉大な総合とは互いに無縁だというような前提を私はとらない。アイザック・ニュートンのヤヌス的双面は、結局のところ単一の精神の所産であったし、そもそも彼の二面性自体、実際そうであったというよりは現代の錯覚がもたらすものであろう。…《真理》はただひとつでありその窮極(きゅうきょく)の拠(よ)りどころは神にあるというニュートンの確信にこそ、彼が行ったさまざまな研究のすべての源泉を見出すことができよう。(B.J.T.ドッブス『錬金術師ニュートン ヤヌス的天才の肖像』大谷隆昶訳、2000年、pp.1-5、ルビほぼ私)
これらの引用からわかるように、万有引力の法則を発見し、近代科学の幕を開いたアイザック・ニュートンは、正真正銘の錬金術師でした。もちろん、錬金術は東洋にだって立派に存在していました。こう述べられています。
 錬金術は西洋にも東洋にもあった。西洋では…卑金属(ひきんぞく)の鉛や銅は欠点があり病気をもっているので、それを治すには「賢者の石」(または「哲学者の石」)が必要であるとされた。このような思想は中世のヨーロッパに引きつがれ、医学とも関連して万病をいやすものと考えられた。錬金術師たちはこの「賢者の石」を探し求めた。…ルネサンスをへて十八世紀から十九世紀に移るころは、近代化学の揺籃期(ようらんき)で、化学は医学と結びついていたが、錬金術はこの医薬化学(Latrochemistry)の中に吸収されていった。一方東洋、殊(こと)に中国においては、西洋以上に錬金術が栄えていた。中国の錬金術と西洋の錬金術は、目的が違っていた。西洋は黄金そのものを求めようとしたが、中国の錬金術は心身を練(ね)り不老(ふろう)長生(ちょうせい)を求めるのが目的で、そのため還(かん)丹(たん)という不滅の薬を作り、さらにこの丹を化学変化させて黄金となし、これを液化させて飲めば、金のように恒久(こうきゅう)不変(ふへん)の生命が得られると信じていた。だから中国の錬金術は練(れん)丹術(たんじゅつ)ともいわれ、宗教的な情熱がこもっていた。(村上嘉実「錬金術」『道教 第一巻 道教とは何か』1983年所収、p.288、ルビほぼ私)

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