「倶舎論」をめぐって
XXVII
さて、フラウヴァルナーの世親2人説に決定的な情報をもたらしたものの1つは、それから10年後の袴谷憲昭教授による「Purvacaraya考」(『唯識思想論考』、2001,pp.506-520所収(初出『印度学仏教学研究』34ー2,1986,pp.866-859)である。袴谷教授は『倶舎論』に登場するpurvacarya〔プールヴァアーチャールヤ、「昔の先師達」の用例を考察し、世親は、「昔の先師達」の説を重んじ、しかもその説は唯識派の文献にトレース出来ることを示したのである。これによって、世親は『倶舎論』著述の際、すでに唯識派であった可能性が浮かび上がってきた。こうして、世親二人説は、その基盤を揺るがされることになった。その後の研究動向は、袴谷氏の「Purvacaraya考」『唯識思想論考』、2001,pp.518-520の研究余史に詳しい。この辺の問題を追っているクリッツァー(R.Kritzer)氏は、「世親は、『倶舎論』著述の時点で、すでに唯識派であった。」(R.Kritzer,Rebirth and Causation in the Yogacara Abhidharama,1999,Wien,WSTB 44,p.204)と述べている。こうなると、世親二人説は最早、通用しない説のようにも見える。しかし、これで、世親思想の全体像がわかったわけではない。第1、散々、言われている「経量部」の正体もはっきりしていないのである。「唯識」も、現在、「心のみが実在し、外の世界は実在しない」という説であると受け取られているが、私は、そんなに単純なものではない、と考えている。少々、余計なことを述べたが、仏教学における著名な説の浮き沈みを感じ取ってもらえばよいと思う。
更に、いささか、書誌学的説明という本筋からは離れるが、当たり前のように使用されている「唯識三年・倶舎八年」という俚諺に言及しておこう。この言葉は、ネットでも頻繁に見られ、あまりにも人口に膾炙したものではあるが、その由来となると、とんとわからないのである。唯一、学術的な論文が、舟橋尚哉博士により、2編著されているのみである。まず、そのうちの1編では、こう述べて、考察を始めている。
「唯識三年、倶舎八年」の諺は、唯識学者や倶舎学者によって、よく使われる言葉である。その場合、いずれの学者も、すなわち、唯識学者も倶舎学者も、難解な学問であるということを表明するために用いられる場合が多い。ところが、この「唯識三年、倶舎八年」の諺の意味内容を考えると、およそ二種類の考え方があることがわかった。つまり、(一)「唯識を学ぶには三年かかり」「倶舎を学ぶには八年かかる」という考え方―倶舎学者の中にこの考え方の人が多いーと、(二)唯識三年の意は、倶舎八年を学
んでおれば、唯識は三年で済む、つまり倶舎は〔唯識を中心とする、玄奘の〕法相宗の寓宗〔=付属の宗派〕であるから、倶舎の基礎を学んでおれば、唯識は三年で済む、という考え方ー唯識学者の中にこの考え方の人が多いーとの二種類の考え方があるようである。そこでこの諺がいつ頃から用いられるようになったのか、そしていずれの考え方が本来の意味であったのかを考察しながら、もしこの諺を最初に用いた人がわかればと思い、それらのことを検討してみようと思う。また唯識の学問にしても、倶舎の学問にしても、三年や八年で、あるいは十一年かかっても、それぞれの学問をマスターすることは、かなり困難なことと思われる。そこでこれらの年数は、それぞれの学問をマスターするのにかかる年数なのか、あるいは一通り講読して、ある程度の知識を得るだけの年数なのかが問題となってくる。これらのことが少しでも明らかになればと思い、考察することにした。(舟橋尚哉「「唯識三年、倶舎八年」考『印度学仏教学研究』46-2,平成10年、p.76、〔 〕内私の補足)