仏教余話
その30
ところで、先に、宮元博士が「紀元前五世紀ごろから紀元後の一先年紀にわたって、思想史上、仏教はほとんどつねに主導的な役割を果たした」と述べている仏教とは、ゆくゆくは、本研究の中心となるはずの「仏教論理学」のことととらえても間違いではない。日本ではあまり馴染みのない「仏教論理学」が、実は、インド仏教の華なのである。それについて、2人のビッグネームだけ紹介しておくので、その名前だけでも記憶しておいてもらいたい。1人目は、ディグナーガ(Dignaga、陳那)という4-5世紀頃の人物である。彼は、『集量論』Pramanasamuccaya(プラマーナ・サムウッチャヤ、論理学集成)という一著を著し、インド思想界に衝撃を与えた。彼によって、新しいタイプの仏教論理学が創出された。その後、ダルマキールティ(Dharmakirti,法称)という5-6世紀頃の学僧が現れ、仏教論理学を大成したのである。彼は、『集量論』に対する注釈書『量評釈』Pramanavarttika(プラマーナ・ヴァールッティカ、論理学評論)という名著をはじめ、7つの作品をなし。インドで、仏教思想の立場を大いに盛り上げたのである。然るに、ダルマキールティの著作は、ついに、1つも、漢訳されることはなかった。従って、ダルマキールティの思想、即ち仏教論理学は、中国・日本では、顧みられることは、ほとんど、なかったのである。皆さんが、これから学ぶ予定の仏教論理学とは、そのようなものである。しかし、その評価は、極めて高い。例えば、先にも名前が出た、日本を代表するインド学者、中村元博士は、ダルマキールティを以下のように評する。
ここに、千三百年の隔たりがありながら、わたくしの前に立っている一人の哲学者がいる。それはダルマキールティである。東洋の哲学は非合理主義的であるとか、直感的であるとか言われているが、かれほどに合理主義を徹底した哲学者は、人類の思想史においても稀であろう。かれは仏教の論理学者であった。そこで、かれの場合は宗教と合理主義ということが問題になるのである。かれは『論理学小論』という書を著した(日本の仏教学者は多くは「正理一滴」と訳している)。この書は漢訳されなかったために、日本のみならず東アジア諸国には知られていなかった。しかし驚くべき書である。『中村元選集[決定版]第25巻 ニヤーヤとヴァイシェーシカの思想』pp.74-75、1部省いて引用)
ダルマキールティの思想は、非常に難解な面があることは、否定出来ない。彼の『量評釈』は、インド哲学史上の3大難解書の1つの数え上げられている位である。その全貌は、未だ、不明である。ここでは、後に、その一端を垣間見るつもりである。
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