新インド仏教史ー自己流ー
その3
もう少し、ヤショーミトラの注釈に解説を加えておきましょう。中に、いくつか、説一切有部論書が出てきました。『発(ほっ)智(ち)』、『品類(ほんるい)足論(そくろん)』、『識(しき)身(しん)』、『法蘊(ほううん)』、『施設論(せせつろん)』、『界(かい)身(しん)』、『集(しゅう)異門(いもん)』の7論書です。これは通称、「六足発(ろくそくほっ)智(ち)」と呼ばれる論書群です。『発智』を胴体として、それを支える残りの6論書を足に例えています。これについて、山田(やまだ)竜(りゅう)城(じょう)氏が、要点を捉えた記述をしています。山田氏はこう述べています。
「發(ほっ)智(ち)・六足(ろくそく)」が明文として示される最古の文献としては、八犍度論(はっけんどろん)の序文において曇摩卑(どんまひ)の語るものであろう。「八犍度論(發智)は體(たい)のみである。別に六足というものがあり、百萬(ひゃくまん)言(げん)からなっている」(大正二六・八八七a)これは序文作者が、「揚州(ようしゅう)の正官(せいかん)(瓦官(がかん)、大正五五・七三b一三)である佛圖(ぶつと)の記する」所によっていうのだ、と附言(ふげん)しているから、インドで直接知り得たものではないらしい。そしてこの序文が書かれたのが西紀三七九年である。沙門基(しゃもんき)が、きまっていることのように「發智六足」(大正二六・六二五c六)というのは、おそらく玄奘(げんじょう)の傳(つた)えによったものであろう。この呼び方をシナ・日本の學者(がくしゃ)の腦裡(のうり)にきざみつけたのは、玄奘門下の普光(ふこう)・法(ほう)寶(ほう)・神(しん)泰(たい)がのこした倶舎の註釈が、これを決定的にしてからのことである。光記(こうき)(大正四一・八b二五―c一〇)、寶疏(ほうしょ)・泰疏(たいしょ)・頌疏(じゅしょ)すべては同じようにこれを述べている。(山田竜城『大乗佛敎成立論序説』1977 rep.of 1959,p.85、ルビ私)
これでわかるように、有名な玄奘一門が、「六足発智」を広めたのです。中国・日本では、よく知られた呼称です。これらの7論書は、漢訳でのみ現存していますので、説一切有部をめぐる研究は、漢訳抜きには成り立ちません。ただし、インドの伝統にも、六足発智とそっくりな考え方があります。ヤショーミトラはこう述べています。
〔『倶舎論』でいう〕「論」とは、『発智』である。その胴体たる〔論〕には、6つの部分がある。( シャストリ本; p,10,l,24,荻原本;p.9,l.11)
6つの部分として挙げられる論書は、「六足発智」と同じです。少々、経量部を真正面から扱うこととはずれますが、この六足発智は大事なものなので、日本の研究史を紹介しておきましょう。山田竜城氏は、以下のような批判的見解を述べています。
六足發智は、シナ諸註(しょちゅう)のみならず、後代インドでも、チベットでも、倶舎論の研究には缺(か)くことのできないものとなっていた。…この考え方は、長くシナ・日本の研究者をも支配して來(き)たが、もし發(はつ)達史的(たつしてき)にアビダルマを見ようとするならば、發智六足を、有部の論書と固定(〇〇)し、これを有部研究の補助學(〇〇〇)の如く考える先入(せんにゅう)主(しゅ)から、脱却(だっきゃく)しなければならぬ。發智論に三世(さんぜ)實(じつ)有説(うせつ)はなく、六足論の中でも、三世實有を主張するものは、識(しき)身(しん)足論(そくろん)だけである。だから〔説一切有部の根幹思想〕三世實有説は發智にはじまるのではない。…六足論もまた、バシャ〔=『大毘婆沙論』〕以前に發達した、アビダルマ一般の様相を語る資料として、見なおす試みがなされてよいであろう。(山田竜城『大乗佛敎成立論序説』1977 rep.of 1959,p.85、ルビ・〔 〕内私)