「倶舎論」をめぐって

XI
少し、論述は飛ぶが、重要なので、眞諦(しんたい、499-569)や慧愷(えがい)という人々にまつわる話もしておこう。眞諦は、インドから来た有名な学僧で、あの三蔵法師として知られる玄奘(602-664)の先輩格に当る人である。眞諦は、中国・日本仏教を席巻した『大乗起信論』の訳者とも伝えられ、また、数々の唯識論書も訳した。更に、『倶舎論』をも訳し、中国仏教に偉大な足跡を残した。玄奘が、インドに渡った最大の原因は、眞諦教学への疑念であったといってよいだろう。その疑念を晴らすには、インドに行って、中国へは完全な形で伝わらなかった『瑜伽師地論』(Yogacarabhumi)を見るしかなかったのである。一旦、玄奘が帰国して、一宗を開くと、眞諦の説は異端とされた。そして、玄奘の創始した法相宗が確かな地歩を固める中で、眞諦は、実に、1000年以上も異端視され続けてきたのである。然るに、近代に至って、眞諦を再評価する傾向が強まった。その先鞭をつけたのは、本学の学長も勤めたことのある宇井伯寿という大学者である。その経緯を、高崎直道博士は、こう記している。
 宇井はその後、新しい眼で〔玄奘由来の法相宗の基本聖典〕『成唯識論』の再検討を試み(一九二八)、ついで、法相宗によって誤りとして斥けられていて真諦訳の諸論の文献研究(一九三一、『印度哲学研究』第六)を経て、『摂大乗論研究』(一九三二)によって、真諦の伝えた旧訳の唯識説こそが、〔インドの〕無着・世親の真意を伝えるものであり、玄奘訳は後世の改変を含む新学説であることを論証した。この見解は伝統的な法相教学を旨とする学者たちとの間に一大論争をひき起した。宇井説は近代の研究方法によるラディカルな伝統批判であったが、そのいきつくところ、逆に真諦の伝えた学説の絶対評価となってしまい、法相教学の絶対視と同じ平面におりてしまった。その後の研究は真諦における如来蔵思想の混入を明らかにしたし、また宇井説自体に如来蔵縁起説への傾斜の見られることも指摘された。(高崎直道「瑜伽行派の形成」『講座・大乗仏教8 唯識思想』昭和57年、p.5、〔 〕内は私の補足)
この辺りの消息を宇井博士自身の言葉から聞いてみよう。
 真諦の伝えた所を公平に明らかにせんとすれば、玄奘系統の固陋の学者は之を頭から排斥して罵詈讒謗を敢えてなすのがこの系統の学者の常套である。これ等の学者は〔自らが信奉する〕護法が何の立場に立って居るかすら考えて居ないのあつて、立場の異なるものに対しても、自己の立場と同じと見て、排斥にのみ専心するのである。(宇井伯寿「仏教研究の回顧」『インド哲学から仏教へ』1976所収、pp.491-492、〔 〕内私の補足)
近時、眞諦に対する関心は、益々高まって、『眞諦三藏研究論集』2012なる論集も刊行され
ている。同論集は、ネットで見ることが出来るので、興味のある方は、ご覧頂きたい。尚、慧愷の伝記については、吉村誠・山口弘江『新国訳大蔵経 中国撰述部①―3 史伝部 続高僧伝I』2012年、pp.36-37参照。そこに「智慧寺に於いて『倶舎論』を講ぜしむ。成名の学士七十余人、同じく欽びて諮謁す。講、業品疏の第九巻に至り、文尚お未だ尽くさざ
るに、八月二十日を以って疾に遭う。」という記述がある。慧愷が『倶舎論』に詳しかったであろう様子も、偲ばれるし、彼の手になる『倶舎論』注があったことも推測されるのである。このような史伝類の研究も重要である。

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