「倶舎論」をめぐって

LXXXIV
櫻部博士の第1部における解説を、適宜、紹介してみよう。それによって、『倶舎論』誕生までの歴史的経緯が鮮明になる。合わせて、思想的問題点も顕わになる。櫻部博士は、博士の研究の持つ意味を、それまでの研究を概観しながら、以下のように、述べている。
 この論考の意図するところは、阿毘達磨倶舎論の最初の二章に含まれる思想についての成立史的研究である。一般的にいって、アビダルマの発展については、概ね三つの段階が考えられている。第一は阿含経典自身の中に既に、教法を整理組織しそれに解説や註釈を与えようとする、「アビダルマ的傾向」と云うべきものが、見られることであり、第二はその傾向が発展して遂にアビダルマ蔵すなわち論蔵を経蔵から独立せしめ、そこに教法の組織・解釈ということだけにとどまらず、進んでその基礎の上に壮大な教義体系を打立てて行くことである。夙にこのようなアビダルマの成立と発展の経過を南北両伝を通じて概観し、その様相を明らかにしたのは、木村泰賢博士の『阿毘達磨論の研究』(一九二二年初版)であった。博士は特にその第壱編「阿毘達磨論一般の成立とその発展の概観」において、上に述べたようなアビダルマの段階的な発展を明快に叙述している。この研究は、伝統の倶舎学・性相学の羇絆を離れ、はじめて近代の歴史的批判的方法によって、この方面を開拓した画期的な業績であった。発表以来四十年余を経た今日、細部においていくつかの修正を要する点があるのはいうまでもないが、博士の示したアビダルマの段階的発展の大綱は揺がない。しかし、博士の研究では、アビダルマ論書の形式的発達の面の究明に主要な力が注がれているのであって、その思想内容の成立や発展の詳細に立入っての十分な跡づけがなされているとは言えないように思われる。そこで、いまこの小論においては、説一切有部のアビダルマについて、もっぱら、その内容を成す思想の成立・発展の跡を辿ることに力め、そこに体系的教義の形成されて行く次第・経過を考察して見ようと思う。先に「成立史的研究」と言ったのはその意である。説一切有部(略して有部)の体系的教義形成の長い過程は、『阿毘達磨倶舎論』において遂に頂点に達したといえる。続いて出た衆賢の二論は、それに対する鋭い批判ではあるが、倶舎論の教義体系そのものをゆさぶるのではなく、それに新たな展開を与えたものでもない。さらにその後の『阿毘達磨灯論頌』および『釈』(Abhidharmadipa,Vibhasaprabha)に至っては、思想的にはただ守成であり、論書の質としてはかえって低下していると言わなければならない。…そこでわれわれは『倶舎論』の所述を、そのように説一切有部思想体系の完成態として、すなわちE.フラウワルナーの言う’die letzte massgebende Zusammenfassung’〔最終的、決定的概論書〕(WZKSO,1964,S.59)として、認め、それを正確二把握しなければならない。しかしそのためには、そのような思想体系が形成されるに至った跡を、上に遡って辿り、その淵源から思想発展の筋道を明らかにすることを、すなわち上述の成立史的研究を、試みることが必要である。先学の示したように、倶舎論というすぐれた論書の成立は、決して単に世親なる一論師の天才のなしわざのみに帰せらるべきではなく、その背後に、説一切有部アビダルマの長い伝統が存している。そのことに意を払わなければ、『倶舎論』自体の正しい理解も得難いことになるからである。世に「聡明論」(光記巻一、大正四一、一a)という『倶舎論』の構成は、全体としては、明快で整然としているといえる。その第九章破我品を附論と考え(桜部建「破我品の研究」大谷大学研究年報第十二集、三七、三九頁)て除けば、前八章は、異論なく、第一・二章と三・四・五章と六・七・八章との三部に大別せられる。すなわち普光のいう「総明有漏無漏」と「明有漏法」と「明無漏法」とである(大正四一、一c)。その中、「総明有漏無漏」なる第一部は、O.ローゼンベルグによれば「存在の要素die Elemente des Seins」を説く部門であり(Die Probleme der buddhistichen Philosophie,S.76)、フラウワルナーによれば説一切有部の「原理論Prinzipien-lehre」である(WZKSO 1963,S.20)。そこには、ローゼンベルグ(id.S.66以下)やTh.シチェルバツキー(The Central Conception of Buddhism,金岡秀友『小乗仏教概論』一五○頁)によって「法の理論(Dharmatheorie,the theory of dharma)」と呼ばれた、五位七十五法の体系とそれら諸法の生滅・因果の原理と、が明かされており、そういう「原理論」が第二部・第三部に明かされる「実践論」の基礎になるのである。いま、小論が、その『倶舎論』の第一部、「原理論」の部分、たる界・根二品を取扱うのみにとどまるのは、私の力が広く『倶舎論』全体には及びかねることによるのであるが、界・根二品が、上述のように、「原理論」として一つの纏った内容をもつ以上、その部分について、思想形成の過程を小論が少しでも解明できたならば、それはそれとして一つの意義を持ち得ると思う。(櫻部健『倶舎論の研究 界・根品』2011年、新装版 序説、pp.9-12,〔 〕内は私の補足)
長々と引用したが、先に見た櫻部博士の解説のソースも知れて有益である。「原理論」などは、フラウワルナーに依存した表現だった。ローゼンベルグにも言及し、より厳密な書き方になっている。

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