「倶舎論」をめぐって
LXXXXIII
更に、刹那滅論証に関する、研究史を概観し、それが、世親の提示するような初期段階のものよりも、ダルマキールティが唱えた後期段階に、焦点が当てられていることを告げる。ロスパット氏は、こう述べている。
刹那性教理の組織的考察は、1930年代に始まる。シチェルバツキー(1930年、『仏教論理学』Buddhist Logic,vol.I,pp.79-118)とムケルジー(1935年『普遍的流れという仏教教理』The Buddhis Philosophy of Universal Flux、特に、pp.1-86)を以てである。彼らが、最初に、仏教徒の観点を、広く、扱ったのである。両学者は、後代に属する文献、特に、シャーンタラクシタの『真理綱要』(第8章、「常住存在の考察」)とカマラシーラの注釈に基づいた説明をなした(シチェルバツキーは、また、ダルマキールティの『正理一滴』とダルモッタラ注、バラモン典籍、取り分け、ヴァーチャスパティミシュラの『ニヤーヤヴァールッティカ注』にも、幅広く言及した)。その仏教の師達は、刹那性教理の磨き抜かれた証明や反証を〔伝えているが〕、それは、カマラシーラの時代までの、仏教徒とバラモンとの間で交わされた要点について、論争の多様なる局面を正確に記したものである。1つの仏教の典籍に見出される、最も詳細で、同時に、最も、理解しやすい刹那性概念の記載であるといってよい。故に、ムケルジーやシチェルバツキーの研究は、刹那性教理の最大の特徴を知らしめるのに、多大なる貢献をなしたのである。しかしながら、両研究は、最終形態の姿を再現したに過ぎない。それは、経量部や瑜伽行派に想定されたもので、この教理の初期段階には言及していないのだ。確かに、シチェルバツキーも、歴史的側面を考えている(pp.108-118)。しかし、すべての法が刹那性であるという教理の発展に関して言えば、彼の扱い方は、ほとんど役立たない。(The Buddhist Doctrine of Momentariness、p.4)
このように、先駆的研究を批判し、ロスパット氏は、こう続ける。
初期文献をも、考察せんとした最初の学者は、ルイス・ド・ヴァレ・プサン(以下:LVP)である。アビダルマ的な「時間論争」の研究の1部として、彼は核心的な文献の大部分を翻訳し、抄訳した。それは、説一切有部や経量部のアビダルマ的伝統に属すものであった。更に、刹那性論議の他学派の取る立場について、情報をもたらした。(毘婆沙師と経量部の刹那に関する覚書、1937年)プサンの概説は、確実で、よき情報源である。今の所、刹那性教理の初期段階の研究に、最大限寄与するものだ。しかし、プサンは、それ以上、組織的な形で、アビダルマ的伝統の文献を提示しなかった。彼は、部分的にも、瑜伽行派文献の資料に言及しなかったし、刹那性教理の起源を辿ろうともしなかった。「刹那と因縁」という研究で、シルバンも、刹那性教理の初期段階を扱っている。彼女は、前述のプサンの概説と、ヴァスミトラ(同異整理輪、Samayabhedoparacanacakra)による古代文献の増田訳に依存している。刹那性問題に関して、彼女の研究は、プサンの問題処理に、ほとんど付け加えるものはなかった。彼女もまた、刹那性教理がどのように起こったのかという疑問に携わっていない。経量部の教理についての研究論文(サンスクリット語で書かれている)で、トリパティは、刹那性教理に全章を費やしている(pp.325-350)。彼は、『倶舎論』、『真理綱要』『真理綱要難語釈』、ダルマキールティの『量評釈』に則って、説明しているが、重要な瑜伽行派文献 即ち、『大乗荘厳経論』と世親に帰される『大乗荘厳経論釈』、『阿毘達磨集論』、『阿毘達磨集論釈』をも、引いている。彼の研究は、情報豊富で、経量部の刹那性概念の種々なる観点を扱っているのだが、文献を常に、批判的に分析していない(実際、研究のある個所は、著者のサンスクリット語では、オリジナルのサンスクリットをなぞる以上ではない)そして、取り分け、この概念の起源と発展を説明していない。(The Buddhist Doctrine of Momentariness、p.5)