仏教論理学序説
その1
論理学研究史
この分野に先鞭をつけたのは、何といっても、ロシア人学者シチェルバツキー(F,I,Shcherbatskoy)であろう。彼が1930年の刊行した『仏教論理学』Buddhit Logic2巻は、衝撃的だった。1巻目はダルマキールティの1部著書と注釈を使いテーマごとに仏教論理学を論じ、その他の大事な話題に触れた。2巻目では各種古典テキストの訳注をなした。その中では、今もって解明出来ない問題もあり、読解困難なテキストも多い。彼に対しては毀誉褒貶も多い。賛辞として次の文言を紹介しておこう
高名なるインド哲学者デビプラサド・チャットパドゥヤヤは、シチェルバ ツキーの著作を英訳した際の、詳細な序文において、世界のインド学仏教学の発展に対するソビエトの学者の絶大なる寄与を指摘している。「恐らく、シチェルバツキーに対する最大級の賛辞は、自明の理である。彼以降、インド哲学を、いい加減に、論ずることは出来なくなったし、同時に、それに関する我々の理解について、彼の業績を無視し続けたままではいられなくなったのである。…大事な意味において、シチェルバツキーは、我々インド人を助けてくれた。おかげで、我々自身の過去を発見し、我々自身の哲学的遺産の正当な展望を見直せたのである。」(G,Bangard-Levin and A,Vagasin;The Image of India,Moscow,1984,p.126)このような賛辞の一方で、シチェルバツキーはヨーロッパの学者からは、カント的すぎる等の批判を浴びていた。以下のような考えの相違があった。
シチェルバツキーのこの著書が高い価値を有することを裏付けるものである。その重要さは、極めて大きい。特に、それがインド論理学研究の最初期に著されていることに想いを巡らせれば〔一層よくわかるし〕、東ヨーロッパの学界が一方的にかなり偏見をもって古代インドの精神的伝統に対する評価をもっぱらとしていた時期に書かれたことを考えれば、尚更である。その時代、多くの学者は「東洋哲学は、哲学史から排除されるべきだ。」東洋である限り「哲学的確認は起こり得ない。」というヘーゲルの意見に与していたのである。シチェルバツキーの著作は、ヨーロッパ哲学とインド哲学との比較を試みているけれど(当時ヨーロッパで流行していたカント哲学を含めて)、本質的に、ヨーロッパ至上主義者のインド思想研究に正面から対抗しようとしていた。(G,Bangard-Levin and A,Vagasin;The Image of India,Moscow,1984,pp129-130)シチェルバツキーの真情は、誤解されていたようである。彼は『仏教論理学』の序文にもはっきりこう書いている。
それ(仏教論理学)は、論理学なのである。しかしアリストテレス的ではない。(Buddhist Logic,p.XII)
彼に対する批判は割と近年まで続いている。その当否は判然としないが、次に『仏教論理学』の中からいくつか気になる話題を提供し、私見を加えてみよう。