仏教余話
その236
問題は、別名と目される毘婆沙師である。この原語は、vaibhasika(ヴァイバーシカ)で、vibhasa(ヴィバーシャ)の派生語である。vibhasaは、vi-√bhasから出来ていて、「選択する」「選ぶ」などの意味がある。漢訳は音写語だが、チベット語訳は、「区別して語る者」と訳す。『倶舎論』の著名な注釈書による説明では、こうなっている。
『大毘婆沙論』に熱中する、または、〔『大毘婆沙論』と共に〕歩むので、毘婆沙師である。あるいは、『大毘婆沙論』を知るので、毘婆沙師である。
vibhasaya divyante caranti va Vaibhasikah.vibhasam va vadanti Vaibhasikah/
(W;p.12,ll.7-8,P;p.13,l.21)
bye brag tu smra ba zhes bya ba ni bye brag tu bshad pas rtse zhing spyod pas na bye brag tu smra ba’o//yang na bye brag tu bshad pa rig pas na bye brag tu smra ba’o//(北;Cu,11a/7-8)
これで、何となく、学派名はわかる。1つは、時間論という教義内容に由来し、もう1つは、信奉する著作に由来するというわけである。極、最近、毘婆沙師についての論考が発表されたので、紹介しておこう。齋藤滋氏は、こう述べて考察に入る。
「毘婆沙師(Vaibhasika)」とは、「大毘婆沙論」に依拠しその権威を認める集団を意味するとされ、説一切有部と同一視されている。世親は『倶舎論』(Abhidharmakosabhasya)において、経量部(Sautrantika)の立場で自説を展開しながら、毘婆沙師(Vaibhasika)を論駁している。近年のアビダルマ仏教研究においては経量部について多くの成果が公表されているが、批判対象となる毘婆沙師(Vaibhasika)については、周知のこととして、論じられることがない。(齋藤滋「『倶舎論』における「毘婆沙師」」『印度学仏教学研究』60-1,2011,p.377)
齋藤氏は、毘婆沙師の初出を調査して、こう述べている。
現存するアビダルマ文献においては『入阿毘達磨論』が「毘婆沙師(Vaibhasika)」の語の初出であると断言できる。(齋藤滋「『倶舎論』における「毘婆沙師」」『印度学仏教学研究』60-1,2011,p.376)
更に、齋藤氏は、烈しい『倶舎論』批判を展開した衆賢の『順正理論』を探り、次のようにいう。
衆賢の意見にしたがえば、『倶舎論』中の毘婆沙師(Vaibhasika)の主張には批判を前提とした世親の自説も含まれていると解釈することができる。(齋藤滋「『倶舎論』における「毘婆沙師」」『印度学仏教学研究』60-1,2011,p.374)
結局、齋藤氏の下した結論は、以下のようなものである。
『倶舎論』中の毘婆沙師(Vaibhasika)は、「毘婆沙論」に依拠しその権威を認める集団(説一切有部)と、世親が自説を展開するために批判対象として設定した集団、という二重の意味が存在する。さらに、〔『倶舎論』の注釈者〕称友の「『毘婆沙』と戯れる」という解釈を重視するならば、侮蔑の意をこめて世親が「毘婆沙師(Vaibhasika)」の語を使用したとも考えられる。(齋藤滋「『倶舎論』における「毘婆沙師」」『印度学仏教学研究』60-1,2011,p.373)