新インド仏教史ー自己流ー

その2

また、三島は唯識を代表する書として、無(む)着(ちゃく)の『摂(しょう)大乗論(だいじょうろん)』と世親(せしん)の『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』を挙げています。それ自体は決して誤りであるとは言えません。しかし、唯識の根本典籍は、この2書以外にあります。長年、唯識研究に携わってきた勝呂信靜(すぐろしんじょう)氏は、端的(たんてき)にこう述べています。
 唯識学派における最古の文献は、おそらくつぎの二書であろうと思われる。『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』(Yogacarabhumi,略称、瑜伽論)『解(げ)深(じん)密(みつ)経(きょう)』(Samdhinirmocana-sutra)唯識学派の開祖は弥勒菩薩(マイトレーヤ、Maitreya)であるといわれ、かれの教説(あるいは著作)に帰せられる数種の論が現存しているが、その中でもっとも早く成立したと推定されるものが『瑜伽師地論』である。瑜伽師地とは、ヨーガ行者(瑜伽師)の実践(じっせん)階梯(かいてい)(地)という意味である。(勝呂信靜「唯識説の体系の成立―とくに『摂大乗論』を中心としてー」『講座・大乗仏教8 唯識思想』昭和57年p.78、ルビ私)
 また、『解深密教』については、高崎(たかさき)直道(じきどう)博士がこう解説しています。
 『解深密経』は、恐らく、唯識を最初に宣言したと目される書です。『解深密教』の「分別瑜伽品(ふんべつゆがほん)」または「弥勒菩薩品(みろくぼさつぼん)」には、「善(ぜん)男子(なんし)よ、当(まさ)に異(ことなること)なしと言うべし。何を以(もつ)っての故に。彼の影像(ようぞう)は唯(た)だ是(こ)れ識(vijnapti)なるに由(よる)るが故なり。善男子よ、我れ識(vijnana)の所縁(しょえん)は唯識として現(あらわ)すと説けるが故なり。」(高崎直道「瑜伽行派の形成」『講座・大乗仏教8 唯識思想』昭和57年、p.12、ルビ私)
引用されている文は、わかりにくいと思います。これは、瑜伽(ゆが)すなわちヨーガという瞑(めい)想の境地(きょうち)のことを述べています。瞑想中には、様々なものが心に浮かんできます。それを「影像(ようぞう)」と言います。その影像は、実際にそこに実在するものではなく、心が生み出したものである、とまず示します。その上で、日常見ているものも、同じように心が生み出しているにすぎないのである、と諭(さと)しているのです。三島が、唯識文献としてこの2書に言及していないことには、やや不満が残りますが、『豊饒(ほうじょう)の海』はあくまでも小説であって、学術論文ではありませんので、異(い)とするには当たりません。以上のことからわかるように、唯識派は瑜伽行派とも呼ばれます。前者は教理内容を示し、後者は実践法を示すものと理解しておけばよいと思います。
 しかしながら、唯識の文献や歴史はそれほど明確なものではありません。その点に触れた研究にも触れておかねばなりません。袴(はかま)谷(や)憲(のり)昭(あき)氏は、唯識の世界的エキスパートです。氏はこう述べています。   瑜伽行派に関連する経典が文献史的にまだ十分解明されていない状況(じょうきょう)は、当然論典にたいしても微妙(びみょう)な影を落とす。そのさい、もっとも問題となるのが『瑜伽師地論』である。本論典は、中国伝では、マイトレーヤ〔弥勒〕説、チベット伝ではアサンガ〔無着〕造(mdzad pa)とされるが、…最近ではもはや個人的作品とは見なされていない。ここで、マイトレーヤ説、アサンガ造といわれる両伝承(でんしょう)に関していえば、それは外見(がいけん)ほど矛盾(むじゅん)したものではない。いずれの伝承においても、『瑜伽師地論』はアサンガの三昧(ざんまい)(samadhi)〔=瞑想〕中に現れた信仰上のマイトレーヤ菩薩によって説かれ、それがアサンガによって事実上文字に表されたとされるのである。あとは、この伝承を信じるか信じないか、信じるとすればそれをどう解釈するかという道が残されているだけである。(袴谷憲昭「瑜伽行派の文献」『唯識思想論考』2001,p.81、ルビ・〔 〕私)
唯識の文献は、このように、伝説の厚い(あつい)霧(きり)の中にあるのです。また、唯識学者、佐久間(さくま)秀(しゅう)範(はん)氏も、唯識文献の不透明さを、以下のように、論じています。
 『瑜伽師地論』をはじめ瑜伽行唯識思想を扱う諸文献に限ってみても、一人の論師が書き下ろした文献とは考えられない場合が多いのである。つまり、文献自体に編集された文献であると明示されているものは当然であるが、単一の著作として提示された文献であっても長い時代を経て、文章単位で、あるいは段落単位で後代に挿入(そうにゅう)が行われ、全体が改編(かいへん)された形跡(けいせき)が見られる場合も少なくない。このような状況下では、一人の著作家が一つの文献全部を著作したと考えるより、多くの人物の手が加わって一つの文献として現在の姿になったと考えることの方が現実的である。(佐久間秀範「インド瑜伽行派諸論師の系譜に関する若干の覚え書きー弥勒・無着・世親―」『哲学・思想論集』35,20h10,pp.17-18)


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