ヨーガとは

その2
パーリ語の大家、水野(みずの)弘元(こうげん)博士は、以下のように説明しています。
 スートラの語は仏教以前からあって、仏教以前のバラモン教でも、また原始仏教時代のジャイナ教でも、さらにその後のインド哲学諸派でも、スートラの語を用いています。この語の元来の意味は線(いとすじ)のことで、…元来(がんらい)スートラといわれたものは、ちょうど一本の糸にいろいろの美しい花を通して、花環(はなわ)を造(つく)って首にかけていたように、花に譬(たと)えられる大切な立派な短い文句を、いくつも並べつらねたものをスートラといったのであります。したがってスートラの元来の意味は、散文の短い金言(きんげん)や要語を集めたもののことのであって、…(水野弘元『経典はいかに伝わったか 成立と流伝の歴史』平成16年、p.14、ルビ私)
これを見るとわかるように、『ヨーガ・スートラ』は、『ヨーガ経』とも訳せるわけです。その他にも、インド思想の用語・学派名・書名などが、ポンポン出てきますので、説明していきましょう。「仏教の成立と前後するいくつかのウパニシャットのなかでは、すでにヨーガの行法が登場している」という文がありました。この中の「ウパニッシャット」とは何でしょうか。インドには、最古の文献として『ヴェーダ』があります。この『ヴェーダ』の内容も、時を経て様々に解釈されていきました。その中から生まれた一連の文献群を「ウパニシャット」と呼びます。金倉(かなくら)円(えん)照(しょう)博士は、こう説明しています。
 ウパニシャッドは、もと「近くに座(すわ)る」意味から、師弟(してい)の間に口伝(くでん)せられた「秘密の教(おしえ)」をあらわし、さらにこの秘密主義をもせた聖典の名前となった。…古代インドの哲学思想の精華(せいか)をふくんでいる。(金倉円照『インド哲学史』1979,p.24,ルビ私、1部現代仮名遣いに変更)
このウパニシャトで、輪廻(りんね)すなわち「生まれ変わり」の思想と、業(ごう)つまり「輪廻を生み出す人間の行為」というインドの大事な思想が確立されていき、やがて仏教のような宗教もはぐくんでいくこととなります。それはともかく、インドの古代聖典ウパニシャットにもヨーガが現われてきている、という点が肝心(かんじん)です。さらに、立川博士の文には「ヨーガの行法がバラモン正統派のなかで体系化された最初のものは『ヨーガ・スートラ』(二-四世紀)であり、これは古典ヨーガ学派の根本経典となった」とあります。これもインド思想の実情を知らない方には、ピントこない言い方です。まず、日本人の通弊(つうへい)として、インド仏教に対する
無理解があると推測されます。日本人は、概して、インドでも仏教はメージャーな宗教であると思いがちです。しかし、実際は、インドでは異端(いたん)中の異端で、宗教のランキングは、下から2番目です。それに比べると、ヨーガはれっきとしたインド正統派に属します。立川博士は「古典ヨーガ学派」と呼んでいます。一般には、インド正統派には、6学派があり、ヨ
ーガ派は、その1つです。各学派にはそれぞれ根本聖典があって、ヨーガ学派の場合は、『ヨーガ・スートラ』なのです。その内容を立川博士は「ここに述べられているヨーガは、心の作用をどこまでも統御し、最終的には止滅(しめつ)にいたらしめるタイプのものである。このタイプのヨーガがもっともオーソドックスなヨーガであり、この伝統は今日にも伝えられている」
と述べています。言い換えると、もともとのヨーガは、一種の瞑想です。そしてその最終目標は「心の死滅」なので、前回紹介したモディ首相の「ヨーガは、古代インドの伝統のかけがえのない贈り物である。心と体、思考と行為、自制と達成感の統合を、そして人間と自然との調和を、健康と幸福への全面的アプローチを具現化する」というヨーガのイメージとは、大分違うようです。
 

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