仏教余話

その28
これと合わせて、仏教に対する研究姿勢なるものにも、目を向けてもらいたい。日本は、仏教国であり、概して、仏教に対する思い入れは強い。それがために、インド思想内の仏教の地位などには、トンと無頓着である。仏教が、インド思想界では非正統派であるなどと聞くと、多くの日本人は意外の念を持つ。しかし、インドにおいて、仏教は、紛れもなく、マイナー思想である。極常識的に考えても、仏教はインドで生まれ、インドの他の思想から多くの恩恵を受けているはずである。インド仏教研究では、このような常識的なアプローチが、実は、出来ていないケースも多いのである。本演習では、そんなことにならないように、出来る限り仏教以外の思想から、仏教を眺めてみようと思う。それに関して、示唆的な意見があるので、見ておこう。宮元啓一博士は、以下のように述べて、自らの立場を表明している。
 第一のグループでは、仏教は仏教としてのみとらえられる。まず仏教ありき、すべてはそこから始まりそして仏教に終わるのである。なかには、あたかも無人の荒野にいきなり仏教の大殿堂が出現し、という印象を与えるものすらある。概していえば、このグループの著者には、他分野(インド思想全般、哲学全般、宗教学全般)に寄り道、回り道をすることなく、学を志してから一貫して仏教(だけ)を研究対象としてきた学者たちが多い。いわゆる仏教学者といわれる人たちの大半がこれに当たる。そして、これは、あながち私の偏見とはいえないと思うが、この意味での仏教学者のほとんどは、僧籍にある人たち、あるいは人並みはずれて熱心な仏教信者たちである。この人たち「にとって、仏教以外の思想、宗教、宗派は「外道」である。「外道」という概念規定のもとにあっては、それらはみな「仏敵」という色合いを帯びる。差があるとすれば、「仏敵」ということを露骨に表現するかしないかという点にあるといえる。第二のグループでは、(インド)仏教は、あくまでもインド思想、宗教、哲学のなかの一つとして扱われる。紀元前五世紀ごろから紀元後の一先年紀にわたって、思想史上、仏教はほとんどつねに主導的な役割を果たした。仏教は、今日のヒンドゥー教思想の骨格の重要部分を構成している。しかし、その仏教も、孤高にして超絶という態のものではけっしてなく、他派の思想との対立と融合のなかで生成発展していったのである。このグループでは、仏教はそのときどきのインドの思想的土壌のなかに位置づけられて、はじめてその真の姿を現すとされる。この視点からすれば、仏教思想のなかに、「外道」の思想が認められたとしても、それは別段、意外なことではない。仏教から、単純な引き算的発想で、「外道」と共通する要素を取り除いていけば、猿のラッキョウの皮剥きではないが、おそらくほとんど何も残らないであろう。重要なのは、「外道」と共通する要素をふんだんに抱えている仏教が、どのようなわけでやはり仏教といえるかを見きわめることである。あらかじめお断りしておかなければならないのは、私が、基本的に、この第二のグループの視点に立とうとするものだということである。…〔インド思想研究の先達〕中村〔元〕博士の研究、著作は、第二グループを代表するものだというだけでなく、それを先導して今日に至っている。このことは中村博士が、わが国における比較思想研究という分野での、最大のパイオニアの一人であったし、また、今日もなお、この分野の研究の第一人者であることと表裏一体である。(宮元啓一『仏教誕生』1995,pp.004-006、〔 〕内私の補足)
中村博士の功罪については、後で触れることになろう。ともかく、仏教に対する思い込み・過大評価は、まずいということだけ理解しておいてもらいたい。


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