性相学

その6
さらに、別な指摘もある。文学を専門とする見理文周氏の指摘である。以下のように言う。
 三島の最後の作品に『豊饒の海』があり、それに引用された沢山の仏教経典と仏教用語や唯識学の思想などから、これを仏教文学として評価する声が少なくない。しかし、そのテーマが「輪廻転生」という平安期の『浜松(はままつ)中納言(ちゅうなごん)物語(ものがたり)』を下敷きにしている点で、近代文学作品としての評価に疑義がなくもない。(見理文周「近代日本の文学と仏教」『岩波講座 日本文学と仏教 第十巻 近代文学と仏教』1995,所収、p.51、ルビ私)
Wikipedaで『浜松中納言物語』を検索すると、次のような1節がある。
 三島由紀夫は、学習院大学在学時代に本物語の代表的研究者の一人である松尾聡からこの物語の講義を受け、その影響でのちに輪廻転生をテーマとした『豊饒の海』を執筆するに至った。三島自身による同作品第一巻「春の雪」の後注に「『豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠(てんきょ)とした夢と転生の物語である。
また、『浜松中納言物語』を詳細に研究した、池田利夫氏は、こう述べている。
 三島由紀夫は、嘗(かつ)てこの物語の文学的資質や現代性に触れて、次のように述べたことがあった。
  異国趣味と夢幻の趣味とは、文学から力を失わせると共に、一種疲れた色香(いろか)を添えるもので、世界文学の中にも、二流の作品と目されるものの中に、こういう逸品(いつぴん)の数々があり、そういう文学は普遍的な名声を得ることはできないが、一部の人たちの渝(かわ)らぬ愛着をつなぎ、匂いやかな忘れがたい魅力を心に残す。「浜松中納言物語」は正にそのような作品で、もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののほうが不確定であり、恒久(こうきゅう)不変(ふへん)の現実というものが存在しないならば、転生(てんしょう)のほうが自然である、と云(い)った考え方で貫かれている。それほど作者の目には、現実が希薄(きはく)に見えていたに違いない。そして現実のほうが希薄に見え出すという体験は、いわば実存的な体験であって、われわれが一見荒唐無稽(こうとうむけい)なこの物語に共感を抱くとすれば、正に、われわれも亦(また)、確乎(かっこ)不動(ふどう)の現実に自足(じそく)することのできない時代に生きていることを、自ら発見しているのである。「浜松中納言物語」が現代に読まれるべき意味はそこらに在るのではないかと想像される。(「夢と人生」日本古典文学大系月報・第二期第二回配本・昭和三九年五月・岩波書店)
 彼の最後の、最長篇作となった「豊饒の海」が、浜松中納言物語を「典拠」としていることは、「春の雪」の自ら記した「後註」に見る通りである。夢と転生の文学、というのは一つの表現に過ぎないのであり、この物語の文章や筋立ては、時に晦渋(かいじゅう)で執拗(しつよう)でさえ
 あるが、源氏物語の亜流(ありゅう)たる文学史的必然性の中で、片隅に頑固(がんこ)に居坐(いす)った作者の存在感の重みは、決して軽くない。中世と現代と、時代を隔てながら、〔『浜松中納言物語』に触発(しょくはつ)された『松浦宮(まつうらみや)物語(ものがたり)』の作者と目される〕若き少将(しょうしょう)〔([)藤原(ふじわら)〕(])定家(ていか)と三島由紀夫
との作品のモチーフになっていることは興味深いであろう。(池田利夫『浜松中納言物語』pp.2-3、〔 〕・ルビ私、1部標記変更)
池田氏の指摘にもあるように三島は次作の典拠を『浜松中納言物語』としているのは確かである。しかし、唯識・輪廻転生と『浜松中納言物語』は矛盾するのだろうか?
見理氏の言わんとするところを、敢(あ)えて述べるとすれば、「『浜松中納言物語』には、仏教思想に影響されない古代日本の輪廻転生説が説かれている」ということになるだろう。しかし、同物語は、『源氏物語』の強烈な影響下に生み出された作品で、しかも、『源氏物語』には、唯識思想の本山たる法相宗、興福寺の影が確認されている。とすれば、『浜松中納言物語』に唯識思想があり、三島の『豊饒の海』も同じ思想を受けていると、考えても何の不思議もない。三島と唯識の関係性について、次のような話もある。
梅原(うめはら)猛(たけし)という名を聞いたことがあるだろうか?日本文化の研究者で、聖徳太子(しょうとくたいし)や法(ほう)隆寺(りゅうじ)の研究でも知られている。元京大教授で、本職は西洋哲学である。仏教にも造詣(ぞうけい)が深く、関連著作も多い。その梅原氏は、実は、三島と同年齢である。月刊雑誌「文芸春秋」2012年2月号に「嗚呼(ああ)「同級生」たかが同い年されど同い年」という企画があり、そこで「わが戦友三島由紀夫」と銘打(めいう)ち、こう語っている。
 三島は死の少し前に、私と共通の友人であった作曲家黛(まゆずみ)敏郎(としろう)氏を通じて、「自分はこの小説を唯識仏教の思想にもとづいて書いたと考えているが、その思想が果たして唯識仏教思想なのかを梅原に尋(たず)ねてほしい」といって、当時刊行されていた『豊饒の海』の第一~第三巻を送ってきた。その小説は人間の生まれ変わりの物語であるが、生まれ変わりの思想は唯識思想とはいえないので、この小説は唯識思想とは関係なく、三島の小説としても失敗作ではないかと私は黛氏を通じて三島に伝えた。生まれ変わりの思想は唯識思想と関係がないとしても、それは浄土教にも存在し、日本思想を考える上で甚だ重要な思想である。当時、私はそのような考えにいたらず、三島につれない返事をしたことを今でも多少後悔している。(p.311、ルビ私)
唖然(あぜん)とするような梅原氏の発言ではないか。生まれ変わりとは、輪廻(りんね)転生のことである。卑(いや)
しくも、仏教を齧ったことのある研究者であるのなら、梅原氏のような受け答えは、絶対にしない。三島も、おかしな相手を選んだものだ。梅原氏には、「多少の後悔」ではなく、大反省を促(うなが)したくなるほどである。例えば、往年(おうねん)の大学者、宇井(うい)伯(はく)寿(じゅ)博士の言葉を
聞けば、梅原氏の無能振りは、明白であろう。宇井博士は、はっきり、こう述べている。
 佛敎(ぶつきょう)は無我(むが)である爲(ため)に輪迴(りんね)解脱(げだつ)を解釋(かいしゃく)するに困難を感じ遂(つい)に種々なるものを考出(かんがえだ)したのが、阿頼耶識と稱(しょう)せらるゝものになったのであるから…(宇井伯壽「成唯識論の性質及び立場と第七識存在の論證」『印度哲學研究』(第五)昭和4年、p.74、ルビ私)
また、『豊穣の海』第3巻「暁の寺」(pp.123-133)には、唯識ばかりでなく、ピュタゴラス等の輪廻観を論ずる場面も見える。どう考えても、三島は輪廻転生に関心を抱いていたことは事実であろう。とはいえ、三島の関心の持ち方が、あくまでも、文学者・小説家としてのもので、理解しがたい面があるのも事実である。三島の創作態度について示唆的な言及もある。引用しておこう。
 三島さんには、思想を倫理的あるいは功利的な価値によって批判する世の風潮に抗(あらが)い、審美的(しんびてき)または形態学的に鑑賞しようとされる傾向が、もともとあった。かつ、唯識説は、仏教徒や学者が認めるように、人を真諦(しんたい)〔真理〕に導く救済思想ではなく、かえって、完全な虚妄へと人を誘う潰滅思想であるとみなされたからこそ、三島さんに対して、魅力を持ち続けてきたのであった。(松山俊太郎「三島さんと唯識説」『鑑賞日本現代文学23 三島由紀夫』昭和55年、p.4、ルビ・〔 〕私)
三島と唯識については、真相はわからないというのが私の感想である。
三島に関しては、次のような興味深い逸話もある。駒澤大学の石井公成氏の発表原稿末尾の記述からである。
 三島の自殺後、その母である平岡(ひらおか)倭(し)文(ず)重(え)(1905-1987)は、息子が最後に打ち込んでいた思想について知りたいと願った。そこで友人とともに、東京大學印度哲學科(とうきょうだいがくいんどてつがっか)の平(ひら)川(かわ)彰(あきら)教授が講師として、出講していた早稲田大學大學院(わせだだいがくだいがくいん)において『成(じょう)唯識論(ゆいしきろん)』の講義を聴(き)いた。私が早稲田の大學院に入學し、平川教授を指導教授として學ぶようになる少し前のことである。(「唯識思想が日本の文學・藝能に與えた影響―古代から現代までー」Jounal of the First International Academic Forum on Maitreya Studies,Hong Kong Polytechnic University Jocky Club Auditorim,2013,8/23-25,p.619、〔 〕内私の補足)

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