仏教余話
その74
あともう1つ、2つ、仏教論理学の中で、重要と思われることを
紹介しておこう。割合、取沙汰される理論がある。それは、1種の言語理論で、アポーハ論と呼ばれるものである。これに、西洋哲学の研究者も関心を示している。冒頭部分を抜粋してみよう。
本研究の目的は、ディグナーガ(Dignaga、漢訳名、陣那約480-540)の概念論であるアポーハ(=他者の排除、anyapoha)論の唯名論的性格を、中世ヨーロッパにおける唯名論nominarilismの代表者オッカム(William Ockam,1280/85-1349)の思想と比較することによって明らかにし、アポーハ論の性格が、ことばや認識に対するどのような態度と関係があるのかを考察することである。二人の思想の親近性を主張した人として、シュツェルバツキー(Stcherbatsky1866-1946)がいる。彼はその著書『仏教論理学』
の第4章第3部「普遍」の中で、中世インドには中世ヨーロッパにおける普遍論争とパラレルな論争があったとし、ディグナーガの立場を唯名論或概念主義conceptualismの中に含めている。そして欄外の注でディグナーガとパラレルな中世スコラ哲学者の一人としてオッカムを挙げている。このようなディグナーガ解釈は現在においても見られる。
“普遍論争”というものが、ことばとことばの対象との関係についての論争であるとするならば、中世インドにおいても、それに準ずる論争が確かにあった。そしてディグナーガもオッカムも、「普遍」が外界に実在することを否定し、「普遍」を「概念」に帰した。その帰結として、実在するのは「個物」のみであり、「個物の直接知覚」を最も「明証的認識」であるとしている。このような二人の主張に並行関係をみるのも、正しいと言える。しかし、従来の研究では単なる術語上の一致などに基づく両者の並行関係の指
摘に留まっており、両者の共通点や相違点が十分に認識されているとは言い難い。従って、ディグナーガとオッカムとを、両者に関する近年の研究成果に基づいて比較し、従来漠然として当たり前のように「唯名論」と呼ばれてきたディグナーガの主張の性格を明確にすることを本研究の目的とする。その理由は、従来のようにディグナーガの思想を、ディグナーガの属する唯識学派の観念論的存在論と結び付けて考察する方法では不十分であると考えたからである。(山方元「オッカムの普遍とディグナーガのアポーハ(I)」、
pp.1-2、ネットでは詳しい出典は不明だが、同論文の(II)は、『公民論集』(大阪教育大学)2,1994と確認出来るので、恐らく、その雑誌であると思われる。)
オッカムは、オッカムの剃刀という「思考の経済学」でも知られる人物で、恐らく、世間一般では、ディグナーガより遥かに、知名度は高いであろう。仏教論理学とは如何なるものであるか、知るためのネタではある。アポーハ論については、現在、巷で横行している解説には、私自身、納得出来ないことがたくさんあるのだが、その辺のことは、少々、込み入った説明がいるので、今は、触れないでおく。