仏教余話
その112
吉村誠氏は、その辺りの様子を、こう綴っている。
玄奘が唯識説の如来蔵的解釈に批判的であったのは、何よりも玄奘自身が如来蔵思想に共感を持たなかったからである。このことは単純であるが、本質的な問題を孕んでいるように思われる。如来蔵思想の実践とは、自己のうちに仏性を自覚することである。しかし、自己の内面を真摯に見つめたとき、そこに仏性があると自覚するより先に、己の罪に気付かされることがある。自己のうちに罪を発見することは、仏性を自覚することよりも、むしろ身近な経験であるといえるだろう。自己の罪を自覚した場合、同じ自己のうちに仏性があるということを、どのように理解すればよいのであろうか。その理解は、仏性があることを前提にして考える者と、そうでない者とで大きく違ってくるであろう。玄奘は自己のうちに罪を意識し、仏性の存在を前提としない人物であった。そのような玄奘像を伝えるのは『慈恩伝』の撰者である。『慈恩伝』に見られる玄奘は、自らの罪障を強く意識し、自己のうちに仏性があることを疑う人物として描かれている。『慈恩伝』には、玄奘が自身の業障が深いことを嘆く話が散見される。北インドの那掲羅渇国には仏が自らの姿を写したという仏影窟があり、仏の加護を受けたものだけが見ることができるといわれてきた。玄奘は至誠に百回余りも礼拝したが、仏影の見える兆しすらなく自らの罪障を責め、「非号懊悩」している。(吉村誠「中国唯識思想史研究 玄奘と唯識学派」2013,p.67)