新インド仏教史ー自己流ー
その4
世親の弟子とも言われる学僧に、陳那(じんな)(Diganaga,ディグナーガ)がいます。彼が仏教論理学の名を広めた人です。陳那は、世親の学説を踏まえ、それを改変することで、自身の説を深めました。その集大成が、『集量論(じゅりょうろん)』(Pramanasamuccaya,プラマーナサムッチャヤ)
という最晩年の論書です。そこで、陳那は、非仏教の主な学派を批判し、世親まで糾弾(きゅうだん)したのです。全インド思想界は、陳那の批判に色めき立って、一斉に、反論します。この時点で、仏教論理学は、インド思想をリードするものとなりました。一般的には、陳那の説で最も、インパクトを与えたのは、知覚と思考を全く別種の認識として、知覚には一切の思考的要素はないとしてことです。それまでは、どんな知覚にも、幾分かは思考的要素があるとされていました。詳しいことは、省きます。陳那の後、各反論に再批判を行ったのが、法称(ほっしょう)(Dharmakirti、ダルマキールティ)です。法称の登場によって、仏教論理学の地位は揺るぎないものになりました。非仏教徒達は、法称批判に目の色を変えます。仏教論理学は、紛れもなく、インド思想界の花形でした。忘れてならないことは、仏教論理学の始まりは、世親にある点でしょう。しかも、先に触れた三世実有説をめぐる仏教内の議論が、仏教論理学の土台を作ったのです。秋本勝氏は、次のように指摘します。
おそらくダルマキールティ〔法称〕の存在の定義はヴァスバンドゥ〔世親〕、〔世親を批判し、『順(じゅん)正理論(しょうりろん)』を著した〕サンガバドラ〔衆(しゅ)賢(げん)〕、〔『倶舎論』注を著した、有名な唯識派の学僧〕スティラマティ〔安慧(あんね)〕に至る三世実有の議論の展開過程のなかで生まれたものであると筆者は考えたい。(秋本勝「仏教における存在の定義」『櫻部建博士喜寿記念論集 初期仏教からアビダルマへ』2002,pp.33-34、〔 〕内私)
仏教論理学は、まだ謎の多い学問です。秋本氏の指摘も、全体的な見通しは正しいとしても、その細部の一々が解明されているわけではありません。