仏教論理学序説

その19

やっかいなのは、ダルマキールティの真意が、どの部分にあるか?判然としないことである。どこに力点が置かれて論じられているか、で理解の仕方も変わる。ドレイフェス氏が明確な反対学派としたニヤーヤ学派との論争にしたところで、観点が違えば、ダルマキールティとニヤーヤ学派の差異が何もないように見える場合があるのである。例えば、ダルマキールティは添性(atisaya)という概念を導入した。集合した原子に加わるプラスアルファが添性である。御牧克己氏は、次のように述べている。
 この「添性を生じた原子の集積が知識の対象である」という理論が、認識論上の諸問題を一応解決するに至った経量部の最も整備された段階での原子論であると考えられ、この理論はしばしば他学派の原子論、特にニヤーヤ学派やヴァイシェーシカ学派の全体性(avayavin)批判の際に用いられている。(御牧克己「経量部」『岩波講座・東洋思想 第8巻、インド仏教1』p.237)
この他学派批判に用いられたキーワード添性は、実は、ニヤーヤ学派が認める全体に等しいとする批判が下されたのである。 状況を整理してみよう。ニヤーヤ学派やヴァイシェーシカ学派は、因中無果論(asatkaryavada)である。これはサーンキャ学派などの因中有果論(satkaryavada)と対立している。宮本啓一氏は、以下のように、簡潔に説明している。
 サーンキャ派のこの因果論は、いうまでもなく、結果は原因の中にあらかじめ存在していると主張するものである。これに対してヴァイシェーシカ派は、原因の中にはまったくなかったもの(無)が結果として生ずるという因中無果論を主張する。「原因の力能」(sakti)あるいは「原因の本性」(svabhava)を想定せざるをえなかったとはいえ、かれらはあくまでも原因と結果はまったく別なものであると主張しつずけた。(宮本啓一「arambhavada覚え書き」『平川彰博士古稀記念論集 仏教思想の諸問題』,1985,p.592)
この力能と添性は、随分と似ているように思われる。この点を鋭く突いたのがヴァーチャスパティミシュラ(Vacaspatimisra)である。彼はいう。
 これについて、他学派〔のダルマキールティ〕は、〔『量評釈』Pramanavarttika「知覚」pratyaksa章第223偈で〕述べていた。「もし、共に生じた添性を有するたくさん〔の極微〕が、別個に、認識の原因だとしたら、何の矛盾があるだろうか。感覚器官等のように。」これも、他ならぬ〔古の〕注釈家〔であるウッディヨータカラ(Uddyotakara)〕が「もし特殊性が生じるなら」と述べたことで、他学派〔のダルマキールティ〕は排斥されたのである。実際、〔ウッディヨータカラによって〕確実なことが証明されているので、諸々の集合体(bhava)に、全体という確かなもの(avayavidravya)の出現と別に、極微の添性が他にある、のではない。

atrantare aha sma-ko va virodho bahabah samjatatisayah prthak/bhaveyuh

karanam buddher yadi nameindriyadivat//iti

etadapi vartikakrtaiva yady upajatavisesa iti vadata parastam/na khalu

sthiryasiddhau bhavanam avayavidravyotpadam

antarenasty anyo’tisayahparamanunam/

(Nyayadarsanam with Vatsuyayana’s Bhasya,Uddyotakara’s Varttika,Vacaspati

Misra’s Tatparyatika & Visvanatha’s Vrtti ed.by T Nyaya-Tarkatirtha,1985,rep.of

1936-44,Calcutta,p.502,ll.15-18)

筆者には、全くヴァーチャスパティミシュラのいう通りに思える。20)どちらも結果にプラスアルファを認めているからである。因中有果論批判という視点に立てば、ニャーヤ学派との差異が消え去るような印象を受けるのは筆者一人ではあるまい。ダルマキールティの真意はどこにあるのか、混乱するであろう。さらに、戸崎宏正氏の報告を知れば、なお一層、ダルマキールティの真意は謎に包まれて見えるのである。戸崎氏は、こう述べている。  「法称の「極微の積集が所縁である」という説は、世親・陣那によって破せられたその説を採用したものといわざるをえない。…このように、「極微の積集が所縁である」という外境論説(―慈恩によれば、経量部説―)が、『唯識二十論』、『観所縁論』に論破されているにもかかわらず、その説をー「極微の積集」に卓越性(atisaya)〔=添性〕を認めることによってー再び採用しているのである。(戸崎宏正『仏教認識論の研究』上巻、昭和54年、pp.38-39)
つまり、世親(vasubandhu、ヴァスバンドゥ)、陣那(Dignaga,ディグナーガ)という有力な先人の意向に反して、ダルマキールティ(法称)は、添性を導入したというわけである。ニヤーヤ学派寄りに、全体にも、一定の存在性を付与した、と見られてもおかしくないであろう。しかしながら、ダルマキールティの全体観を詳しく追った船山徹氏は、こう述べている。
 いずれにせよ、仏教知識論学派〔=ダルマキールティの流派〕は全体など無用の長物であるとして、全体を実体視する立場と真っ向から対立するのである。
全体は、添性を採用したダルマキールティにとって、最早、無用の長物ではない。それを暗示するかのような記述がある。ドレイフェス氏に異端的とされたゲルク派の論理学書に、その記述が見られる。ゲルク派の開祖ツォンカパ(Tsong kha pa1357-1419)は、『量の大備忘録』Tshad ma’i brjed byang chen moという1種の講義録を残している。そこには、こうある。
 〔『量評釈』の二諦と〕『倶舎論』(mDzod,Abhidarmakosa)で説かれた二諦と設定法は一致しない、つまり、そこ〔=『倶舎論』「賢聖品」margapudgalanirdesa第4偈〕では、壷等は破壊によって、その〔壷の〕認識は廃棄可能である〔そういったものを〕世俗諦と位置付ける。一方、ここ〔=『量評釈』「知覚」章第3偈〕では、〔目的達成能力のある(arthakriyasamartha,don byed nus pa)〕自相によって成立しているものを勝義として成立していると位置付ける。故に、そこ〔=『倶舎論』〕では〔全体たる壷が、部分に破壊可能であるという観点から、その壷は〕世俗の実例であると説明されるけれど、ここ〔=『量評釈』〕では、〔目的達成能力を持つという観点から、同じ、全体たる「壷」を、〕勝義の実例であると位置付けるのである。

 mdzod nas bshad pa’i bden gnyis dang ‘jog tshul mi gcig ste/de nas bum pa la sogs pa bcoms pas de’i blo ‘dor du rung ba la kun rdzob tu bzhag la/’dir rang mtshan nyid kyis grub pa la don dam par grub par bzhag pas der kun rdzob kyi mtshan gzhir bshad kyang/’dir don dam pa’i mtshan gzhir bzhag pa yin no// (The collected works of rJe Tson-kha-pa Blo-bzan-grags-pa,vol.22,Pha,34/2-3,folio.218)25)

この記述は、先程の船山氏の見解とは、正反対である。ここでも、現代流の解釈とゲルク派のそれとが、噛合っていない例が見られるのである。だからといって、ゲルク派は誤解している、と言い切れるだろうか?この記述をどう評価するか、も大きな問題であろうが、筆者は、こう理解している。恐らく、二諦は、部分と全体というテーマに置き換え可能である。そのようなテーマが、一貫して、存在し続け、ヴァスバンゥとダルマキールティが異なった解釈を示したのであろう。『量の大備忘録』は、そのテーマの重要性を深く認識していたので、上記のような発言をしていると思われる。『量の大備忘録』では、二ヤーヤ学派の存在には触れていない。しかし、想像を逞しくすれば、ニヤーヤ学派の攻勢に会い、ダルマキールティが、新機軸を打ち出した、という推測さえも描けるように思われる。その新機軸こそ、添性であり、目的達成能力であったのではないか。とにかく、添性を巡っても、新旧の様々な見解が渦巻き、どれがダルマキールティの真意なのか、判断に苦しむのである。このような錯綜した事態が、moderate realism考察の際も起こると予想される。一筋縄ではいかない仏教論理学の姿と面白さが伝われば、これにすぎることはない。

 

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