「倶舎論」をめぐって

LXXIX
先頃、経量部を論じる学会をリードしたクリ
ツアー(R.Krizer)博士は、その基調論文の冒頭で、こう述べている。
経量部という術語は、ほとんどすべてのインド仏教概説研究に登場するけれど、実際、誰が経量部なのか 彼らの主張した立場は、正確には何なのか、についての信憑性のある情報は、ほとんどない。(The Sautrantikas,The Jounal of the International Association of Buddhist Studies,26/2,2003,General Introduction,p.201)
ついでに、現代を代表する学者の見解も、いくつか紹介しておこう。梶山雄一博士は、こう述べる。
経量部の教義を体系的に記述している独立した論書は我我に伝えられていない。説一切有部や唯識派の諸論書の中に引用、批判されている経量部の学説、『倶舎論』において、説一切有部の正統的理論の主要なものに対して経量部の立場から与えられた世親の批判、その他の断片的な資料を通して、その理論一般が推定されるだけである。(梶山雄一『仏教における存在と知識』1983,p.31)
矢張り、有力な学派であるのに、その正体ははっきりとはしていないのである。御牧克己博士も、以下のように、述べている。
 インド思想史に登場した仏教諸学派の内で、経量部ほど興味深くまた謎に包まれた学派は少ないであろう。…徹底的に突き詰めた実在論やドグマに執着しない柔軟な態度や認識論に於けるラディカルな表象主義などの屈折した議論には、我々をこの上なくこの学派に引き付けるものがある。(御牧克己「経量部」『岩波講座 東洋思想 第八巻 インド仏教 1』1988,p.226)

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