仏教余話

その244
高木訷元博士は、この記述に触れ、こう述べている。
 この記述によれば、迦毘羅(Kapila)の後に伐里沙と名づけられた弟子があり、しかも彼は弟子の上首で、十八部の中、主たる位置を占めていたもののごとくである。ここで雨と翻ぜられた伐里沙はサンスクリットのVarsa(雨、年)あるいはVrsaであったろう。この徒党が雨衆外道である。雨時に生ずとは、別の資料によれば、この弟子の弟子が多いことが恰も雨季の際の雨のごとくであるという。かくてまた、〔世親の後輩で、世親を鋭く批判した衆賢の著作〕『順正理論』における雨相外道、空海の『十住心論』第三に見られる雨際外道も、すべて、この雨衆外道にほかならない。(高木訷元「ヴァールシャガニヤの数論説」『マータラ註釈の原典解明 高木訷元著作集2』平成3年所収、p.47、〔 〕内私の補足)
大分前に世親の伝記を紹介した。その中に「龍王がいて、ヴァールシャガナ(毘梨沙迦那、Varsagana)という名であった。ビンドゥヤ(頻闍訶)山の下の池の中に住んでいた。この龍王は、よく、サーンキャの学説(僧佉論、samkya-darsana)を理解していた。」(有龍王名毘梨沙迦那住在山下池中。之龍王善解僧佉論、『婆藪槃豆法師伝』大正新修大蔵経、No.2049,189b27-28)という1節があった。このヴァールシャガナも雨衆外道と見て、さし
つかえないだろう。この奇妙な名の由来もわかってきた。varsaが雨、ganaが徒党という意味なので、「雨衆外道」と漢訳したのである。ただ、チベット語訳は、少々、違う。Varsaのもう1つの意味「年」を採用し、loと訳し、ganaと似た言葉、ganyaには「数える」という意味があるので、rtsis paとした。直訳すれば、チベット語訳は「年を数える者」という意味になる。どちらも、同じ学派を指している。今までは、VarsaganyaもVarsaganaも、一見、大差がないように、見えたし、実際、両者の差異は、漢訳やチベット語訳では問題とされていない。しかし、この両者は区別しておくべきであろう。


いいなと思ったら応援しよう!