「倶舎論」をっめぐって

CXIV
この種の学問的義務については、別な個所で、更に、厳しく論じている。
 倶舎論は婆沙二百巻の教義を組織したものである、又批評的に書かれたものである、従て婆沙の教義と倶舎の教義とは全然一致しないものであることは、今更私の喋々を要するまでもない。此点に於て倶舎論の研究に最も必要なる参考書は婆沙論である。次に有部の見地に立て倶舎論に批評を加へたものは衆賢の順正理論八十巻だから、此も参考書として欠くべからざるものである。倶舎論の研究なれば、倶舎論の本文さへ読めば其でよい様であるが、しかし本文だけでは徹底しないといふ様な点が時々起って来る。一例をあげて見るならば、能造の四大種と所造の色との関係の如き、四大種の集合が即ち色だといふ様にも見えるが、実際有部の教理はさうではない。其辺が倶舎論の上では明瞭でないから、従て誤解を招き易い傾がある。そこが婆沙の上まで来ると明瞭になって居る。又世親の四大種論は果してどうであったかといふことも、倶舎論の上では一寸分り兼て居るが、其れが順正理論と比較研究の結果、略世親の意見も伺はれることになる。尤も全く光宝二記を捨てよといふのではない。従来倶舎の研究といえば多く光宝二記を通じてのみ研究せられたから、其がよくないといふまでのことである。又其反動として本文のみで研究する人もある、其れも決してよくない。遠く婆沙を繙き、近く光宝二記を閲し、其上に同時代の著者として順正理論を読まば、倶舎論の教義が那辺に存するかを十分に知ることができると思ふ。遠くは阿含や六足論、近くは倶舎の諸末註を繙く必要もあるが、今は成るべく少ない範囲に於てかく申したまでである。(舟橋水哉『倶舎の教義及び其歴史』昭和15年、pp.318-319,1部現代表記に改めた)
このような博士の指摘には、現代の我々も耳を傾けるべきであろう。


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