「倶舎論」をめぐって
XCV
論の前提たる概説(bstan bcos kyi sngon du ‘gro ba spyir bshad pa)
かくして、善逝がお隠れになって(mya ngan las ‘das,nirvana)から、年が千に近付いた時、余す所なき学問(rig pa’i gnas,vidya-sthana)を御心に刻み(thugs su chud)、自他の学説の大海の究竟に至ることで、牟尼〔善逝〕の残りなき金言の唯一の眼となった、偉大な師、世親(dByig gnyen Vasubandhu)尊者(zhabs,pada)が現れた。即ち、それは、世尊が、『文殊根本タントラ』(’Jam dpel rtsa ba’i rgyud、Manjsrimulatantra,文殊dang po ba)を示す方は、ブッダの教えについて、それを最上となさしむ」と
予言されたのである。そ師利根本儀軌)において、「その後、名声ある南方のバラモン、文句の第一義的なこと(のような偉大な師、彼のお方は、『発智論』(Ye shes la ‘jug pa,Jnanaprasthana)等の7部アビダルマ(mngon pa sde bdun)と『大毘婆沙論』(Bye brag tu bshad pa chen po,Mahavibhasa)の諸々の意味を、正しくまとめ、カシュミールの毘婆沙師(kha che bye brag tu smra ba)の確立法(grub pa’i tshul)を説明し、経と論理から逸脱しない、彼らが考察した幾つかの見解に、否定の言辞を添えた(zur dang bcas pa)この論書をご執筆になったのである。
雰囲気だけでも味わってもらえると幸いである。本当は、もっと理屈っぽい文言が続くが、この辺でやめにしよう。