「倶舎論」をめぐって

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更に、より近代の研究動向に、触れ、以下のようにいう。
前述の書を除いて、考察は、ほぼ、刹那性教理の論証や反証を行うための、進歩した議論に関わっている。最も顕著な例をのべれば、ここでは十分だろう。フラウワルナーは、ダルモッタラ(8世紀から9世紀)の刹那性に関する論(ダルモッタラの刹那滅論証、Darmottaras Ksanabhanghasiddi)を訳した。当時、シュタインケルナーは、未公刊の博士論文「シャンカラスヴァーミンによる刹那論証と神論証」において、ニヤーヤ学派のシャンカラスヴァーミンによる、刹那性教理への批判と密接に関係する常住性証明を扱った。続く研究、「刹那性推理の発展」1968/69,Die Entwicklung des Ksanikatvanumana)において、ダルマキールティによって進展した様々な刹那性論証を研究した。彼は、ダルマキールティは、初期作品では、同時性の推論に基づいて刹那性論証したが、その後に、どのようにして、前述の存在性からの推論を発展させたのか、を示した。御牧は(1976)は、仏教徒とバラモン間の刹那性論議を、細かく研究した。『真理綱要』『真理綱要難語釈』そして、ラトナキールティ(11世紀)の『常住性成立批判』における〔論議〕である。それは、補遺で訳されている。広範な参考文献で、刹那性教理の後期段階研究に資する重要なものすべてを並べた(勿論、1976年までのものである)。最近の小論(「刹那滅論証」1984年)では、ダルマキールティ時代に始まる刹那性論争の全局面を簡便にまとめた。ラトナキールティの「否定法を本質とする、常住性成立批判」は、マクダモットにより訳された(「存在についての11世紀仏教論理学」1969:An Eleventh-Century Buddhist Logic of ‘Exists’)エトケは(ダルマキールティの存在性による推理に関わる仏教徒の刹那性教理覚書、1993:Bemerkungen zur buddhistichen Doctrin der Momentanheit des Seinden Dharmakirtis Sattvanumana)
は、「存在性による推理」の構造とその哲学的特異性を、詳細に分析した。周知の刹那性教理の後期段階を明かすためには、大であったが、プサンのアビダルマ文献提示以降、この教理の初期段階については、ほとんど進展がなかった。特に、弥勒、無着関連の初期瑜伽行派に伝来している文献は、長く無視されてきた。この文献は、極めて豊か(もたらす情報と量の両方で)なだけでなく、全体として、プサンの提示した、アビダルマ的資料よりも古いのである。かくして、それが、刹那性教理の初期段階に、最も重要な資料であることは疑いない。故に、修士論文(1988年、2月)で、それらの文献に的を絞ることを決めた。ある考察に限定した。即ち、『瑜伽師地論』(以下Y)の「声聞地」(以下SrBh)「摂決択分」(以下VinSg)、『大乗荘厳経論』『大乗荘厳経論釈』『阿毘達磨集論』『阿毘達磨集論釈』、世親の『倶舎論』ー彼の『成業論』(以下KSi)の平行文も―における様々な刹那性論証の翻訳と分析である。研究過程で、その議論の多くが、刹那性教理の状況を照らし出すことに気付いた。それは、後代の資料が背後に追いやり、全く取り上げられなかったものである。時には、それらの議論すら、多分、この議論の発展に潜んでいる動機や論法を映し出しているもののように見えた。こうして、初期段階の論証と全関係文献の組織的評価によって、以下の事が明らかになった。発展段階における刹那性の概念に、多くの光を当てたのである(より正確にいえば、実質的に、「部派」は、この点について様々であることを考慮した)。更に、暫定的にだが、ある教理的な論法・動機が、「本来、すべては刹那的であるという」信仰を生み出したのであると確認したのである。それ故、筆者は、博士論文の範囲内で、このトピックの研究を追及しようと決心した。(The Buddhist Doctrine of Momentariness、pp.5-6)
ロスパット氏の意図は、これで見えてくるだろう。つまり、氏は、後期段階主流の研究況に釘を刺し、初期段階の刹那滅論にもっと、眼を向けるべきだとしているのである。氏は、瑜伽行派文献こそが、最初期の刹那滅論証を伝えるものであると判断し、自身、修士論文・博士論文で、それらの文献を中心に据えた。
 

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