「倶舎論」をめぐって
LXXVI
ところで、『倶舎論』の理解には、衆賢(Samghabhadra、サンガバドラ)作の『阿毘達磨順正理論』(大正大蔵経No.1552)を参考にしなければならないことは、最早、常識であろう。衆賢は、正統説一切有部の立場に立ち、反『倶舎論』の観点から論じている、と伝えられている。彼は、説一切有部を擁護しているが、伝統を超えている面もあるようである。彼の著作は完全な形では、漢訳にのみ残されている。しかし、断片は、先に紹介したインド撰述の『倶舎論』注に残されている。加藤純章博士は、こう述べている。
衆賢の断片は『倶舎論』の諸註釈書―スティラマティ、プールナヴァルダナ、ヤショーミトラの書―に多数引用されている。特にスティラマティに中に極めて多い。その他には『タットヴァ・サングラハ』〔『真理綱要』〕(Tattvasamgraha)の三世実有論の項に引用されている。(加藤純章『経量部の研究』1989,p.15〔 〕内私の補足)
研究も蓄積されているのであるが、漢訳だけでは正確な理解を得るのは困難である。加藤純章博士は、次のように簡潔に紹介している。
『順正理論』は、カシュミール地方の説一切有部に属するサンガバドラ(衆賢)によって、西暦四、五世紀に著された論書である。衆賢はまた同時に、『顕宗論』をも造ったという。この二書は玄奘の漢訳として現存し、『大正新修大蔵経』第二十九巻に収録されている。この内特に『順正理論』は、未だ十分には明らかになっていないインド部派仏教の歴史を構成する上で、極めて重要な資料を提供するにもかかわらず、一、二の優れた書を除いて必ずしも綿密で総合的な研究がなされているとはいい難い。(加藤純章「『順正理論』の諸問題(一)」『毘曇部第四巻月報 三蔵96』昭和51年、p.27)
さらに加藤博士は、『順正理論』の翻訳状況をこう伝えている。
玄奘三蔵が三年二ヶ月をかけて『倶舎論』を翻訳した間に、前半の一年数ヶ月を『顕宗論』に、後半の一年数ヶ月を『順正理論』にあてて、平行して翻訳を続けていたという事実を示している。(加藤純章「『順正理論』の諸問題(一)」『毘曇部第四巻月報 三蔵96』昭和51年、p.27)
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