新チベット仏教史―自己流ー

その3
III〈その後のクトゥン〉
アティシャを長く、頼りとし、訓示を多く、耳にされた。取り分け、般若波(はんにゃは)羅(ら)蜜(みつ)の教訓と、閻魔(えんま)の口伝に長けていた。タンポチェー(に、お招きして、法輪を転じ、ニェタンで、ク〔トゥン〕が、般若波羅蜜を解説するというので、法の聴聞者は千ばかりとなった。ゲシェーローツァーワは、歓待して、この般若波羅蜜では、壮士は、クトゥンその人であるとの御開口の言。ダクポーワンギェルも、彼に、般若波羅蜜を学んだ。ポトワ(Po to ba,1031-1105)も、彼に、〔三〕蔵を聴聞した。弟子のラティサンワル,その弟子のダンティタルマニンポテーは、こ〔の人〕に頼り、アビダルマ(chos mngon pa)の解説を聞く者は、広がり、増えること大となった。御年65歳の乙(おつ)卯(う)に逝去したとある者は、お認めになるが、ギェルクポンの弟子トンパツエマのお言葉では、「大人物ク〔トゥン〕について御威勢(mnと御身代により、その時代に、重鎮に数えられても、御自分の時を、超えて〔生きることは〕出来ません」とおっしゃった通りならば、アティシャ崩御(ほうぎょ)(1054)から、長く、御在世でなかったことを、微に入り細(さい)に穿っ(うがっ)て、検討すべきである。ク〔トゥン〕が、著された『大史』というあるものも、存在すると知られていると思われる。彼から、ダムボンポジュンネーギェルツエンが、伝持した。

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