新チベット仏教史―自己流ー

その5
 さて、ツォンカパがチベット仏教の僧である限り、最も重要視したのは中観の教えです。中でも、インドのチャンドラキールティ(Candrakirti)流の解釈を最上としました。しかし、不思議なことにチャンドラキールティは、因明に対して否定的であったと言われています。直前に見たツォンカパの姿勢とは矛盾します。さらに、ツォンカパの中観理解は、「無自性を明確に理屈によって把握出来る」と、するものですが、当時の風潮では、一切の判断を否定し無自性の判断さえ否定していました。こういった背景の中で、ツォンカパは明確な無自性理解を主張します。これもその真相ははっきりしません。正直に言うと、私にはその矛盾や真相を解消する知識はありません。ただ最近の研究の一端を示しておきましょう。
 空性を知の対象として存在すると見なす見解〔=理屈によって理解すること〕は、決してツォンカパの独創ではなく、チャパ師弟にまで遡(さかのぼ)るものであり、さらには、チベット人の勝手な創案ではなく、〔ジュニャーナガルバ(Jnanagarbha)作〕『二諦(にたい)分別論(ぶんべつろん)』というイ
ンド原典に依拠するものであることが具体的に原典資料に基づき明らかとなった。このことは、ツォンカパの中観説の思想的背景、さらには、インド・チベットにおける中観思想の歴史的展開を考える上で、極めて重要な研究の視座(しざ)を提供するものである。
   (西沢史仁「チベット初期中観思想における空性理解―ゴク翻訳官、トルンパ、ギャマルワ、チャパー」『日本西蔵(チベット)学会々報』64,2018,p.46,ルビ・〔 〕)
上に出てくるチャパ(Phya pa,1109-1169)は、チベットでは有名な僧で、その思想は最近発見された『カダム全集』で次第に明らかになってきました。西沢氏の研究も、おそらく、それを資料としたものでしょう。

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