Tips of Buddhism

No.3(Nukariya Kaiten)
The object of this little book is to show how the Mahayanistic view of life and of the world differs markedly from that of Hinayanism,which is generally taken as Buddhism by occidentals,to explain how the religion of Buddha has adopted itself to its environment in the Far East,and also to throw light on the existing state of the spiritual life of modern Japan.( Kaiten Nukariya;The Religion of the Samurai a study of Zen philosophy and disciple in China and Japan,London,1913,p.xix,ll.8-14)(hints,Mahayanistic大乗的、Hinayanism小乗)

(訳)
欧米人は、一般的に、小乗を仏教と捉えているのだけれど、この小著の目指すところは、大乗的生活観・世界観は、小乗のそれと全く異なっている様子を示すことである。つまり、ブッダの教えを極東の環境にどのように馴染ませたかを説明することなのである。更に、近代日本の精神生活が今ある状態に、どのように、光を投げかけてきたかを説明することなのである。

(解説)
忽滑(ぬかり)谷(や)快天(かいてん)(1867-1934)の著作から引用した。彼が、何故、『侍の宗教』という英文著作を著したのか、という動機が、ここに示されている。初めて仏教に接する人はなじみがないだろうが、仏教の代表的分類に、小乗(しょうじょう)仏教(ぶっきょう)と大乗(だいじょう)仏教(ぶっきょう)がある。小乗仏教は伝統的な保守仏教で、現在では東南アジアで信奉(しんぽう)されている。一方、大乗仏教は新しい仏教である。中国や日本で盛んなのはこちらである。忽滑谷のいた19世紀当時、欧米では、仏教とはイコール小乗(しょうじょう)仏教(ぶっきょう)と見なされていた。今日のように、大乗(だいじょう)仏教(ぶっきょう)や禅が世界的に受け入れられている状況とは、大いに違っていたのである。そこで、禅や大乗仏教の宣伝目的で、
執筆したというわけである。忽滑谷が本書を書いた明治という時代は、仏教にとっても受難の時で、廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)という仏教排斥(はいせき)運動があり、「大乗(だいじょう)非仏説論(ひぶっせつろん)」なる説も唱えられていた。日本の宗派は、すべて大乗仏教であるから、自己否定をしたことになる。この説を述べた村上専(むらかみせん)精(しょう)(1851-1927)は、浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)の僧侶であったが、1時破門(はもん)される、という事件も起こっている。その顛末(てんまつ)を伝える記事を、1部引用しておこう。
  大谷派(おおたには)本願寺(ほんがんじ)末寺(まつじ)なる、村上専精佛敎(ぶっきょう)統一論(とういつろん)を公(おおやけ)にしたるより、議論(ぎろん)沸騰(ふっとう)し本山(ほんざん)に在りては一派に對(たい)して、宗義(しゅうぎ)に異論を立て異議を説くものには一歩をも許さず、極刑(きょっけい)として宗門(しゅうもん)以外に賓斥(ひんせき)し以て僧籍癈牒(そうせきはいちょう)を奪ふの先例あり。…此に於(おい)て耆(き)宿(しゅく)密會(みつかい)して議するありし結果、村上自分より僧籍を返還せしむるの一事こう一擧兩(いっきょりょう)得(とく)の虎の巻(とらのまき)なれとて、敎學録事(きょうがくろくじ)大田祐慶士(おおたゆうけいし)を遺(つかわ)して相談の幕を開き、新法(しんほっ)主(す)の説諭(せつゆ)もありて無事に其(そ)の運びとなり、本山は左の如く指令して一段落を告げたり
  三河國寶飯郡御馬村
 入覺寺前住職 村上専精
 願いに依り僧籍を除く
 明治三十四年十月廿五日
 執綱權大僧正 大谷 勝 縁印
 (『政敎時報』67、明治34年、11月15日発行,pp.10-11,ルビ私)
上の引用では、昔の表記をそのまま使用しているが、時代の雰囲気を感じてもらうためである。さて、この村上が、東大で、長きに渡り、仏教を教え、学界の権威的存在に君臨する。明治という時代の複雑性を示すものである。
 


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