世親とサーンキヤ

その9
実は、雨衆外道は、その名前さえ不明瞭なのである。varsaganyaなのかvarsaganaなのかということも、確定的ではない。しかし、サーンキヤ史上重要な人物であることは確かであって、かって、フラウヴァルナー(E.Frauwallner)は、その思想を「古典サーンキヤ体系の認識論」Die Erkenntnislhere des klassischen Samkhya-Systemという論文で再現し
ようとした。その時、フラウヴァルナーは、vrsaganaとしているのである。その後、チャクラヴァルティ(P.Chakravarti)は、varsaganaはvarsaganyaの徒を意味するとした。(P.Cakravarti:Origin and Development of the Samkhyaq System of Thought,Delhi,1975,rep.Calcutts,1952,pp.135-138)現在では、varsaganyaを取る研究者が多い。(例えば、Eli Franco:AVITA and AVITA, Asiatische Studien Etudes Asiatiques LIII・3・1999,p.563の注2参照)名称に関する見解を、少し追ってみよう。中村元博士は、こう述べている。
 かれはまた、Vrsagana,Vrsaganavira,Varsaganaという名でも伝えられている。文法的にはVarsaganyaと綴るのが正しい。(中村元『中村元選集[決定版]第24巻ヨーガとサーンキヤの思想 インド六派哲学I』1996,p.529の注(1))
さらに、宇井伯寿博士は、割注において、以下のように指摘する。
 Varsa-ganyaを雨衆と訳すのは正しくはなかろう。Vrsa-ganaの派生語で、もと仙の名。Vrsaは牡牛、勝れた人を指す。Varsaは雨でもあるが、Vrsaの派生語ならば雨ではない。(宇井伯寿『瑜伽論研究』昭和33年、p.222)
宇井博士の指摘は、「雨衆外道」の説が批判されている『瑜伽師地論』Yogacarabhumiのチベット語訳では、見事に生きている。直接文献に当たっていないが、高木訷元博士の解説には、こうあるからだ。
 しかるに『瑜伽師地論』のチベット訳ではkhyu-mchog-pahi-tshogsとなっている。つまり前者〔『倶舎論』〕はvrsaを雨と解するのに対し、後者〔『瑜伽師地論』〕は「第一」「最勝」の解してヴァールシャガニヤを「最勝の集団」としたのである。(高木訷元「ヴァールシャガニヤの数論説」『マータラ註釈の原典解明 高木訷元著作集2』平成3年所収、p.45、〔 〕内私の補足)
これらの情報を勘案すれば、Varsaganyaとは、「雨衆外道」と訳すのではなく、「〔サーンキヤ中〕最上の宗徒」と訳したくなる。
 さて、大蔵経データベースで、「雨衆外道」を検索すれば、たちどころに、聞いたことのない文献の用例まで知ることが出来る。就中、由来について、最も詳しいのは、玄奘の弟子、基の『成唯識論述記』の次の記述である。以下に、紹介してみたい。
 外道がいて、名をキャピラという。昔のカピラ(kapila)の訛りである。これを「赤褐色」ともいう。髪や顔が、赤褐色だからである。昨今、西方の貴いバラモン種族は、皆、赤褐色である。時に、世人は、赤褐色の者を別して、仙人とする。その後、弟子の上位の者が18部いて、主なる者の名をヴァルシャ(伐里沙、varsa)という。訳せば、「雨」である。雨季に、現れたので、名としたのである。その雨の徒党を雨衆外道と呼んでいるのである。インド(梵)では、サーンキャ(僧佉)といっている。
謂有外道名却比羅、古云迦毘羅訛也。此云黄赤、鬢髪面色並黄赤故、今西方貴婆羅門種、皆黄赤色也。時世別為黄赤色仙人。其後弟子之中上首、如十八部中主者名伐里沙、此翻為雨、雨時生故即以為名。其雨徒党名雨衆外道、梵云僧佉。(『成唯識論述記』大正新脩大蔵経、No.1830,252a26-252b3)
高木訷元博士は、この記述に触れ、こう述べている。
 この記述によれば、迦毘羅(Kapila)の後に伐里沙と名づけられた弟子があり、しかも彼は弟子の上首で、十八部の中、主たる位置を占めていたもののごとくである。ここで雨と翻ぜられた伐里沙はサンスクリットのVarsa(雨、年)あるいはVrsaであったろう。この徒党が雨衆外道である。雨時に生ずとは、別の資料によれば、この弟子の弟子が多いことが恰も雨季の際の雨のごとくであるという。かくてまた、〔世親の後輩で、世親を鋭く批判した衆賢の著作〕『順正理論』における雨相外道、空海の『十住心論』第三に見られる雨際外道も、すべて、この雨衆外道にほかならない。(高木訷元「ヴァールシャガニヤの数論説」『マータラ註釈の原典解明 高木訷元著作集2』平成3年所収、p.47、〔 〕内私の補足)
基や高木博士の記述を参考にすれば、Varsaganyaは、「〔サーンキヤの開祖カピラの弟子中〕首座を占める者」という訳が浮かぶ。

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