Tips of Buddhism
No,42
Enlightened Conciousness is not a bare intellectual insight,for it is full of beautiful emotions.It loves,caresses,embraces,and at the same time esteems all being,being ever merciful to them.It has no enemies to conquer,no evil to fight with,but constantly finds friends to help,good to promote.(Kaiten Nukariya;The Religion of the Samurai a study of Zen philosophy and disciple in China and Japan,London,1913、p.94,l.28-p.95,l.3)
(訳)
悟った心は、単なる分別心(知性的洞察)ではない。美しき感動に溢れているからである。それは慈悲深くさえあって、一切衆生を、愛し、いつくしみ、抱擁する、同時に、敬うのであり、いつも寛容である。成敗すべき敵も、戦うべき悪も持たない。しかし、常に、助けるべき友を、なすべき善を見出すのである。
(解説)
忽滑谷快天は、また、曹洞宗(そうとうしゅう)を揺るがすような論争の当事者としても知られている。あまりご存知でない方も多いと思うので、簡単にその辺りのことを述べてみよう。
忽滑谷快天で検索すると、ネット上に、「正信(せいしん)」論争なるサイトが、目に入る。実は、この論争が近代曹洞宗、そして駒澤大学をも二分することになったのである。事の経緯を、簡単に辿ってみよう。忽滑谷は、昭和3年に「星(せい)華(か)」創刊号に「正信」という論文を書いた。これに対して、原田(はらだ)祖学(そがく)という人物が、「公正(こうせい)」という雑誌に、「須らく獅虫を駆除すべし(すべからくしちゅうをくじょすべし)」という論文を著し、反論を唱えた。どうやら、両者の争いは、禅の真髄は、「学問」なのか「実践」なのか、ということらしいのである。2つ揃って、始めて、禅の極意は得られる、というのが常識的理解であると、思われるが、禅を宗旨(しゅうし)とする人々には、極めて、センシティヴな問題であるようだ。そのため、論争は、曹洞宗を、2分して、激しく、行われた。ネットでは、佐橋法(さはしほう)龍(りゅう)氏の著書を引用し、この辺りの事を、こう綴っている。
宗意上の主要なる問題が学術によって解明し得るとする立場と実参(じつさん)実(じつ)究(きゅう)によらざれば到底正しく把握することはできないとする立場の相克(そうこく)に、問題の本質はあるようである。(佐橋法龍「曹洞宗学の研究的発展を妨げるもの」『道元思想体系21 思想篇15 道元思想の現代的課題』1995,p.338、ルビ私)
論争が始まった翌年には『曹洞宗正信論争』という書が公刊され、論争の一端は示されました。まず、その広告文を引用して、当時の雰囲気を探ってみよう。
忽滑谷快天、原田祖岳兩師(りょうし)によりて、安心論の烽火(のろし)一度揚(あ)げらるゝや、轟々(ごうごう)たる輿論(よろん)は沸騰(ふっとう)し遂(つい)に洞門(どうもん)稀有(けう)の大法戦(だいほっせん)は開始された。此の書は是(これ)等(ら)諸師(しょし)の安心論の一切を編纂(へんさん)したものであつて、今や宗門の信仰地を拂(はら)ひ、出家(しゅっけ)在家(ざいけ)共に安心の路頭に迷ふ時、特に此の一書を諸子(しょし)の机邊(きへん)に薦め各自自由討究と巖正なる批判の資(し)に供せんとするのである。(竹林史博『曹洞宗正信論争〔全〕』平成16年、p.25、『達磨禅』第14巻2号〈昭和4年2月〉の広告と指摘されている。ルビ私、1部表記変更)
さらに、忽滑谷は、ヨギ・ラマチャラカ(Yogi Ramacharaka )のHatha Yoga,The Hindu-Yogi Science of breath等を参考にして、1913年に『養気練心乃(ようきれんしんの)実験(じっけん)』を出し、1925年に『練(れん)心術(しんじゅつ)』として再刊した。これが日本最初のヨーガの紹介と考えてよいであろう。他に、『心霊(しんれい)の謎(なぞ)』等と言う訳書も出している。忽滑谷快天は、絶好の研究対象である。