Tips of Buddhism
No.62
A historian of modern Buddhism,Yoshida Hisakazu,divides the Meiji era into three periods.The first period is from the Meiji Restration to 1885,the second from 1886 to 1899,and the third from 1900 to 1912,the year when Emperor Meiji died….Compared to the other two periods,the second period was the age with more enthusiasm and so more confusion.Buddhism was energetic,but nobody knew what derection the religion shoud take.We can see in this period the rise of nationalism,the internationalization of Buddhism,and its meeting with Theosophy.Letter from Theosophists,and speech made by Olcott,gave pride back to Buddhists’ heart and spurred them to Buddhist revival.In a sence the Theosophical and other influences from abroad worked as a catalyst for the Buddhism revival to happen.(Yoshinaga Shin’ichi,Japanese Buddhism and the Theosophical Movement,A General View,平井金三における明治仏教の国際化に関する宗教史・文化史的研究、平成16年度~18年度、p.80)
(訳)
近代仏教史家、吉田久一〔1915-2005〕 は、明治時代を3時期に分けた。第1期は明治(めいじ)維新(いしん)から1885年まで、第2期は1866年から1899年まで、そして第3期は1900年から1912年明治天皇崩御(ほうぎょ)までである。・・・他の2次期と比すと、第2期はより熱狂的で、より混乱している。仏教は生き生きとしていたが、宗教がどう進むべきか誰も知らなかったのである。この時期には国粋(こくすい)主義(しゅぎ)の幕開けが見え、仏教の国際化、さらに神(しん)智学(ちがく)との邂逅(かいこう)も見える。神智学者からの手紙、〔神智学協会の代表者〕オルコット〔Henry Steel Olcotto,1832-1907〕の演説は仏教徒の心にプライドを呼び戻し、仏教の復興に駆り立てた。ある意味、神智学そして国外からの影響は、仏教復興を促すきっかけとして作用したのである。
(解説)
上で指摘されているように、「神智学協会」(The Theosophical Society)といういわゆる心霊主義団体からのアプローチが、明治にあった。廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)で疲弊(ひへい)していた明治仏教界にとって、それは大いなる助け舟であった。実際、協会の代表者オルコットは来日を果たし、大歓迎を受けた。それを扱った先駆的(せんくてき)業績(ぎょうせき)は、佐藤哲朗『大アジア思想活劇』2008年である。まずは、佐藤氏の業績を借りて、オルコット来日の様子を伝えてみよう。佐藤氏によると『浄土(じょうど)教報(きょうほう)』では、こう述べられている。
吾人(ごじん)は今このオルコット氏の来朝を聞き欣躍(きんやく)の情に耐えざるのみならず先ず、我(わが)日本仏教徒が現十九世紀の世界に斯(か)かる有力なる新良友、新知己(ちき)を得たるを祝せんと欲するなり(『浄土教報』1、佐藤哲朗『大アジア思想活劇』2008年、p.233より孫引き、ルビ私)
オルコットは、かくも期待をもって、歓迎されていた。京都の知(ち)恩院(おんいん)での公演には、数千人の聴衆が集まったそうである。彼は「19世紀の菩薩(ぼさつ)」とまで呼ばれていた。オルコットは、上京しても同様な歓迎を受けている。
オ氏は我が東京に在ってはその滞在僅(わず)か二十日に過ぎざるも増(ぞう)上寺(じょうじ)厚生館(こうせいかん)等(など)各所(かくしょ)の招請(しょうせい)に応じ演説ありしは都合十回にして、いずれの場合に在っても聴衆(ちょうしゅう)満場(まんじょう)立錐(りっすい)の地を余さず氏の誠実(せいじつ)熱心(ねっしん)護法(ごほう)愛国(あいこく)の年慮(ねんりょ)に厚きオ氏の雄弁(ゆうべん)とは大いなる感動を与えたり。(『浄土教報』4、佐藤哲朗『大アジア思想活劇』2008年、p.241より孫引き、ルビ私)
近年、明治期の仏教研究は、近代史・文化史と連携(れんけい)し、急速に進んでいる。上記英文もその
成果の1部から引用した。その中でも、注目を集めているのが、平井(ひらい)金三(きんざ)(1859-1916)で
ある。研究の中心メンバー、吉永(よしなが)進(しん)一(いち)氏は、以下のように言う。
平井金三は今までの日本近代仏教史にはほとんど登場することのなかった人物である。しかし、排耶(はいや)運動、神智学協会々長オルコット、シカゴ万国宗教会議、ユニテリアン、新仏教運動、心霊(しんれい)研究(けんきゅう)、道会(どうかい)、禅的精神療法など、明治宗教史に目をやれば、その曲がり角ごとに平井の影が見え隠れする、国粋(こくすい)主義(しゅぎ)と仏教復興運動から出発し、最終的には個人宗教の実践に至った彼は、変貌(へんぼう)し続けた明治宗教のダイナミズムを象徴する人物でもあり、宗教的知識人の一つの典型例でもある。(吉永進一「平井金三、その生涯」平井金三における明治仏教の国際化に関する宗教史・文化史的研究、p.7,ルビ私)