Tips of Buddhism
No.15
It is said Japanese art strongly was influenced by Buddhism.Japanese poem Waka is no exception.A typical poet of Kyougokuha(Kyougoku sect),Kyougoku Tamekane (京極為兼1254-1332),who learned the Mind-only Buddhism in the Kohuji temple(興福寺),he wrote some Wakas based on the Mind-only thought.For example, he wrote about the absolute empty of the Heart Sutra,’Although all is empty,I recognize that the world doesn’t change as before at all.’
(hints,mind-only唯識、the Heart Sutra般若心経)(my composition)
(訳)
日本の芸術は、仏教の影響を色濃く受けていると言われる。日本の詩和歌も例外ではない。京極派の代表歌人、京極為兼は、興福寺で、唯識仏教を学び、唯識思想に乗っ取った幾つもの歌を詠んだ。例せば、『般若心経』の究極的空について「すべては空なのだけれど、私には世間はいつも通り変わらないと思えるのだ。」と朗じた。
(解説)
私の英文を読んでもらった。ガチガチの教理一辺倒ではない仏教の奥深さを伝えられるならと考え、あえて作文してみた。
訳した和歌の原文は、以下のようなものである。
般若心経畢竟空〔はんにゃしんぎょう・ひっきょう・くう〕の心を
むなしきを・きわめをはりて・そのうえに・よをつねなりと・またみつるかな(玉葉、2722)
為兼は、心一元論と目される、唯識思想の濃厚な影響下にあったといわれている。岩佐美代子氏は、次のようにいう。
南都(なんと)興福寺(こうふくじ)、法相(ほっそう)唯識(ゆいしき)の根本経典は、玄奘(げんじょう)編訳の『成(じょう)唯識論(ゆいしきろん)』十巻である。…和歌史上ただ一人、この思想をもって独自の歌風を創始、一世を風靡(ふうび)して、現代にも高く評価される作品を残したのが、藤原定家の曾孫、京極為兼であった。(岩佐美代子「唯識と和歌―京極為兼の開眼」『文学〈特集〉南都の文学』第11巻、第1号、2010,p.170、ルビ私)
ここでは、これ以上、深く立ち入らないが、彼の和歌論に対する示唆的な指摘のみに言及しておこう。
為兼歌論には写実性の認識があり、作品自体にはより濃厚に写実性を指摘しうるが、作品にみられる写実性も印象の内面的再構成の結果であり、いわば芸術写真の持つ写実性に共通する。角度や露出やしぼりあるいは距離を明晰な意識によって操作しているのである。特に恋歌にはその操作が顕在化しているから、恋歌を読んでから叙景歌を読むと、京極派(その内部にも諸傾向があるが)の特色がよくわかるはずである。為兼の歌論および和歌について写実をいうことは勿論誤りではないが、その本質を写実主義ということはできないのである。(藤原春男「古典歌論における写実」『短歌』28(4),1981,4,p.55)
日本中世以降の芸能・芸術は、仏教思想なくしては語れない。あたかも、ルネッサンスが、ネオプラトニズムという1種の汎神論(はんしんろん)なくしては、語れないように。
ただ、このような研究をしている学者の専門は、国文学等が多い。どうしても仏教の理解は薄くなりがちである。岩佐美代子氏にしろ、専門家でも難しい『成唯識論』を為兼が読破したと本気に考えているのだろうか?為兼が、実際に目にし、耳にし、手に取った唯識関係の書物は、超専門本だとは思われない。為兼の時代には、日本の唯識研究も極度に進み、一般向けの良遍(りょうへん)(1194-1252)作『法相二巻抄(ほっそうにかんしょう)』という著書も出ている。知識はそれで十分だ。
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