世親とサーンキヤ
その5
伝説の上では、サーンクヤ説はカピラ(Kapila)に始まり、二祖アースリ(Asuri)、三祖パンチャシカ(Pancadikha)と伝えられたという(SK 70)〔サーンキヤ頌第70頌〕。神話と伝説の中に埋もれたこの三人を歴史上に位置づけることは相当に困難である。開祖カピラは仏陀以前に出てその哲学の体系を説いたという説も、かつては行われたが〔R.Garbe,SamkhyaーPhilosophie,pp.10-11〕むしろ、サーンクヤ哲学は仏教以後に形成されていったと考える方が、有力になった。少なくとも、現存の資料から論ずるかぎり、サーンクヤ哲学の形成を仏教以前に位置づけることはできない。〔E.H.Johnston,Early Samkhya,
London,1937,p.23,E.Frauwallner,Untersuchungen zum Moksadharma,Das Verhaltnis zum Buddhismus,WXKM 1926,pp.58-68〕…サーンクヤ的思弁がヨーガの行法とともにはじめて記されるのは、仏教以後の成立と考えられている中期の古ウパニッシャドにおいてである。その中でもっとも早いのは『カタハ・ウパニッシャド』(Katha-Upanisad,or Kathaka-Up.)である。…サーンクヤという名称やカピラの名が初めて見えるのは、次の『シュヴェータシュヴァタラ・ウパニッシャド』(Svetasvatara-Up.紀元前三世紀頃)である。(村上真完『サーンクヤの哲学―インドの二元論―』1982,pp.8-9,〔 〕内私の補足)
『真理綱要』と「難語釈」では、古典的サーンキヤ思想の定番である『サーンキヤ頌』をターゲットとし、その作者イーシュヴァラクリシュナの名も引用する。しかし、『サーンキヤ頌』の諸注釈とは、微妙に異なるサーンキヤ思想を展開しているようである。
さて、チャンキヤには、以下のような意味深な発言もある。世親思想の根幹が『倶舎論』の段階で、唯識(vijnaptimatrata)であると考えられている情況を勘案すれば、非常に気になる言葉である。
学説に通じたあるものは、サーンキヤのこれらの見解は、唯心形象虚偽(sems tsam rnam rdzun,*cittamatralikakara)の見解と近い〔と説き〕、形象の変化したもの(rnam ‘gyur,*akaravikara)を虚偽と認める者は、事象(dngos po、vastu)の実相を見る者であるという〔唯心形象虚偽派の見解〕について、〔それは、サーンキヤへの〕接近であると説くのは、智慧が大変お粗末に尽きるのである。
grub mtha’khan po kha cig gis/grangs can gyi lugs ‘di dag sems tsam rnam rzdun gyi lugs dang nye ba dang/rnam ‘gyur rnams rdzun par ‘dod pa dngos po’i gnas lugs mthong ba la nye bar song ‘chad pa ni/blo gros shin tu rtsing bar zad te/(Ka,27b/5-28a/2,folio 54,l.6-55,l.2,チベット原典ローマ字転写)
この記述は、現代の研究者の見解と見事に符号するであろう。以下のような記述がある。
〔唯識で説く〕潜在意識(阿頼耶識)が経験を生み出すという阿頼耶識縁起の思想や、菩薩はその条件として種姓(素質)を具えなければならないという種姓論などのYBh〔=『瑜伽師地論』〕の重要な所説は、むしろ〔サーンキャ学派の〕因中有果論を借用した思想でなかったかとさえ思わせるからである。このことについては今後さらに比較検討する余地があるであろう。(古坂紘一「『瑜伽師地論』に見る因中有果論批判―その思想史的意義―」『大阪教育大学紀要 第一部門』49-2,2001,p.141,〔 〕内は筆者の補足、同論文はインターネット上で見ることが出来る)
また、横山紘一氏は、こう述べている。
現象世界は根源的なるものが変化し転変したものであるという見方は唯識思想に一脈通ずるところがある。なぜなら、深層的・根源的心である阿頼耶識の変化したものが表層的自己とおよび自然であるとみるからである。阿頼耶識を根源識としてたてるにいたった、あるいは世親が「識転変」の概念を作り出すにいたった背景には、サーンキヤ学派の自性からの転変説の影響があったのかもしれない。(横山紘一「世親の識転変」『講座大乗仏教8-唯識思想』昭和57年所収、p.119)
さらに、インド哲学の専門家丸井浩氏は、以下のように論ずる。
ヴァスバンドゥが確立した識転変説は、顕在意識の転変と潜在意識の転変(種子の転変の総称)の相互的因果関係の連鎖として特徴づけられる。もちろん、転変の主体として変異することなく永続する実体としての自我なるものを認めているわけではないから、その点で様相は変化しつつも質的には不変の根本原質を立て、しかもそれとは別にその活動をただ観照するにすぎない精神原理を立てるサーンキヤ思想とは、決定的とも言える違いがある。しかしながら、潜在的な意識が顕在的な心の活動・世界を生み、顕在的な意識作用が潜在意識に回帰してゆく構図は、サーンキヤの開転説とかなりよく符号することも事実である。両者の類似点は、パリナーマという単なる用語の一致だけでは済まされないことは確かである。ちなみにヴァスバンドゥの伝記には、ヴァスバンドゥの師がヴィンデュヤヴァーシンというサーンキヤの論師に論争で敗れたため、ヴァスバンドゥは師の仇うちに『真実七十論』なるものを著して、その論師を打ち破ろうとしたというエピソードが収められている。もしそれが真実だとすれば、ヴァスバンドゥとサーンキヤとの関係はいよいよ緊密なものとなるわけで、ヴァスバンドゥがサーンキヤの開展という考え方に何らかのヒントを得たかもしれないという憶測も、結構真実味を増してくるのである。(丸井浩「仏教とインド哲学の思想交渉」『講座仏教の受容と変容』,1991所収、pp.99-100)
また、インド思想の大家、服部正明博士は、ある対談の中で、こう語っている。
ヴァスバンドゥ〔=世親〕は『倶舎論』の中で、サーンキヤ学派のヴールシャガヌヤに言及していますし、また、伝記によると、彼の師匠がサーンキヤ学派のヴィンドィヤヴァーシンとの討論に負けたとき、その報を聞いて急いでかけつけ、ヴィンドィヤヴァーシンと論争しようとしたが、相手はすでに死んでヴィンドィヤ山の石になっていたので、『七十真実論』を著してサーンキヤ説を反駁したことになっています。ですから、ヴァスバンドゥはサーンキヤ説を十分意識していたはずです。(服部正明・上山春平『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』昭和45年、p.199)
錯綜した問題を解き明かす鍵の1つは、チベット人によるサーンキヤ理解にありそうである。その糸口となるのが、『真理綱要』であることが伝われば、十分である。
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