新インド仏教史ー自己流ー
シャカ以降の仏教―経量部、序論―
その1
大乗仏教が起こった時でも、伝統的な保守本流の部派は健在でした。それどころか、大乗仏教を凌(しの)ぐ勢力を誇っていました。特に、有力であったのは、説(せつ)一切(いっさい)有部(うぶ)でした。『俱舎論(くしゃろん)』がその部派の代表的文献とされています。しかしながら、『俱舎論』は説一切有部の教義を忠実に説いたわけではありません。一般的には、内部にいた批判的なグループ、経量部(きょうりょうぶ)(Sautrantika、サーウトラーンティカ)側から批判的に論じたと言われています。経量部(サーウトラーンティカ)の名称は、スートラ(経)に由来します。スートラの派生語が、サーウトラーンティカです。つまり、経を基準とする(量とする)者達と言う意味になります。でも考えてみれば、経を基準とするのは仏教徒なら当たり前のことで、特段、珍しいことではないはずです。実は、説一切有部が批判されていた理由は、あまりに理屈を重視していたからだと伝えられています。説一切有部のような仏教をアビダルマと称します。現代で言えば、哲学のことです。このような哲学的傾向について、近代の学者の評価もわかれました。インドの文献に入る前に、その辺りの様子も紹介しておきましょう。アビダルマ研究の大家(たいか)、故櫻部(さくらべ)建(はじめ)博士は、その様子をこう伝えています。
〔ヨーロッパの著名な〕L・ド・ラ・ヴァレ・プサン〔Lois de la Vallee-Poussin,1869-1938〕のような学者は、…アビダルマ的傾向の濃い阿含(あごん)経典(きょうてん)を目して、原初の仏教の魅力あふれた教説の内容を、十全に、公平に、伝承したものではなくて、それを「哲学化」し、「阿毘(あび)達磨化(だるまか)」した、僧院の教科書用集成である、とする。(櫻部建『倶舎論の研究 【界・根品】』2011新装版、pp.29-30、ルビ・〔 〕内私の補足。
このように、プサンは、アビダルマに対しては批判的な見方をしています。櫻部博士は、これに異を唱える別な有名学者の意見も示しています。
プサンの説は、しかし、スチェルバツキー〔Th.Scherbatstsky1866-1940〕の強い反駁(はんばく)を受けた…。プサンのように、初期の仏教が後期の「スコラ」仏教と相(あい)対立(たいりつ)するかのように考えることは、アビダルマ仏教が、何か本質的に原初の仏教と異なっていた、とすることであるが、事実はそうではない。仏陀は決して形而上学的(けいじじょうがくてき)思弁(しべん)に無縁(むえん)の徒(と)であったのではなく、その教義は看過(かんか)すべからざる哲学的構造を有している。(櫻部建『倶舎論の研究 【界・根品】』2011新装版、pp.31,ルビ・〔 〕内私の補足。)
ここに言及される学者について、少し説明を加えておきましょう。プサンは、ベルギーの著名な学者です。『倶舎論』のフランス語全訳等の偉大な業績を残しています。それに反論を加えたスチェルバツキーは、ロシアの世界的学者です。英語読みで、スチェルバツキーあるいはシチェルバツキーと発音される場合が多い人です。日本に留学したローゼンベルクの師に当たります。他に西村(にしむら)実則(みのり)『荻原雲来と渡辺海旭 ドイツ・インド学と近代日本』2012,pp.234-238にも、西欧の学者達がアビダルマをどのように評価していたのか、点描されていますので、興味のある方はご覧ください。とにかく、事は、仏教の本質にもかかわる事なので、云々(うんぬん)するのも難しいことです。