仏教余話

その6
その論争の顛末を簡単に述べてみよう。チベットでは、仏教導入に当たって、インド仏教にするか中国仏教にするか、判断に迷った。そこで、両方の仏教を代表する学僧を招いて、王の御前で論争させることになった。インド側には、カマラシーラ(Kamarasila)という当時の最高レヴェルの学僧が立った。中国側には、摩訶衍(マカエン)という中国禅の流れを汲む学僧が立った。摩訶衍の主張の根幹は、悟りとは、「無念無想」「不思不観」、つまり、「念」「意識」を失くすると説くことである。摩訶衍は、念を捨てれば、一瞬にして、悟りは成就されると説いた。一方のカマラシーラは、それでは、「気絶した人」「熟睡した人」と変わるところはないではないか、と批判した。カマラシーラは、論理的思考の積み重ねを強調した。結果、カマラシーラのインド仏教が勝利し、この後、公には、摩訶衍の教えは異端とされたのである。私の言いたいことは、漱石はカマラシーラ的であり、一方の宗演は摩訶衍的に見える、ということである。私の個人的な見解では、摩訶衍もどきの禅的な仏教理解をすることをよしとするのが、世間一般の受け取り方のように思えるのだが、それには、大いに、疑問がある。仏教的真理とは、思考や意識を除外するような性質のものではなく、人知を絶した神秘的な要素などもない。その辺については、誤解が蔓延しているので、折に触れて、述べようと思う。「サムイェの宗論」は、そのことを考察する上でも、極めて、貴重な思想論争である。これまでにも、多くの研究が蓄積されているが、そのあらましを、以下で、読んでもらいたい。
 さて、摩訶衍の基本主張は、はじめに触れた中国仏教的な考え方、すなわち〔万人が仏性を有するという〕有仏性の支持と〔一切の判断を捨てる〕無分別重視主義に集約される。無分別重視主義は、『頓悟大乗正理決』において不思不観と表現されていて、カマラシーラによって鋭い批判を浴びた。松本史朗『禅思想の批判的研究』(大蔵出版、1994)は、サンスクリット語文献も視野に入れ、不思不観の意味を思考の停止であると明言した。松本氏は、インド以来の仏教思想の流れにおいて宗論を見ようとする。氏の方法は、狭い専門分野の枠を超えようとするもので、すぐれた語学力と幅広い知識を要求されるが、中国仏教研究の1つの方向性を示したものといえよう。伊吹敦「摩訶衍と『頓悟大乗正理決』」(論叢アジアの文化と思想1,1992)は、中国仏教の専門家の立場から、カマラシーラの摩訶衍批判を再検討している。伊吹氏は、カマラシーラの批判に不当性を認め、不思不観を思考の停止と解釈することにも反対している。宗論をめぐる活発な意見交換が今後も期待される。…こうして、ドミエヴィル以来、サムイェの宗論についての研究は膨大に蓄積されてきた。次々と新資料が発見され、歴史的な事実が細かに検討され、宗論の実態や前後の様子は次第に明らかになっている。しかし、それに伴って、インド仏教と中国仏教の思想的対決という面が看過されがちのようである。サムイェの宗論の真の意義は、思想的研究によって、はじめて鮮明になると思われるのである。以下、その理由を手短に述べよう。チベットを代表する学僧ツオンカパ(1357-1419)は、実践至上主義に警告を発し、摩訶衍を異端の代表とした(長尾雅人『西蔵仏教研究』岩波書店、1954参照)が、これはサムイェの宗論に直結する思想的問題である。ツォンカパの見解は、実践を重んじ、中国仏教の華と讃えられている禅への批判にも一脈通ずるものであり、その淵源はやはりサムイェの宗論なのである。中国仏教研究者による今後の検討が鶴首される。(木村誠司「チベット仏教」『中国仏教研究入門』2006年所収、pp.84-85、〔 〕内は私の補足)
皆さんに考えてほしいのは、もしも、「サムイェの宗論」が日本で行われたなら、どうなっていたか?という点である。恐らく、摩訶衍が勝利したであろう。インド・チベットの仏教と中国・日本の仏教は、同じ、仏教とはいいながら、その傾向を大いに異にしているからである。このように、インド仏教を知るということは、かえって、日本仏教をより理解することにつながる面があるのを、頭の片隅に置いておいてもらいたい。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?