新インド仏教史ー自己流ー

その2
ざっと今から3000年も前の文献が、ヴェーダです。「集成」という言葉で表現されているように、長い年月の間伝承されたものをまとめた文献であると理解出来ます。ただ、ヴェーダの祭式は、現代人が想像するようなものとは違っているようです。その様子を新しい概説書から、引用してみましょう。
 人は願望をもって神々を祭場(さいじょう)に招き、賛歌を唱え、供物(くもつ)を祭(さい)火(か)に投げ投じる。神を客と見なす「賓客(ひんきゃく)歓待(かんたい)」のメタファー的思考をそこに見出すことができる。信頼された神々は子孫の繁栄や家畜の増殖などの願望を満たす。ここにあるのは祭式を媒介とした富の交換である。無力な人間がひたすらに神の一方的な恩寵(おんちょう)を希(ねが)うバクティの帰依(きえ)とは異なる。祭式にあるのは神と人との厳正(げんせい)な取引の関係である。人間の倫理(りんり)基盤(きばん)として普遍的(ふへんてき)な「貸し借り」のメタファー的思考をそこに読み込むことができる。神にいわば「貸し」を作った人間が、命令形を用いて神に果報(かほう)を求め呼びかけるのである。ただしその取引は、神と人(祭主である部族長・大家族の長など)との直接取引ではない。言葉の神秘的な力(ブラフマン)に関する知識を独占し、現象の背後に潜む力を操作できるバラモン祭官を媒介とする仲介(ちゅうかい)取引(とりひき)である。(片岡啓「宗教の起源と展開」『新アジア仏教史01インドI 仏教出現の背景』平成22年、所収、p.140、ルビほぼ私)
ヴェーダにおいては、神も祭官の統治下にあるということのようです。祭官は、「貸し借り」の決まりの下に、祭主と神の間を取り持ち、願いを神にかなえさせるのです。これは、実は、1種の魔術的思考法によって、根拠を得ています。その辺のことを先の概説書では、こう述べています。
 そこに顕著(けんちょ)に現れているのは異なる領域にある二つの項(例えば祭場の構成要素と宇宙の神秘力)を対応関係の中に捉(とら)え同置するメタファー的思考である。文化人類学に倣(なら)って「呪術的(じゅじゅつてき)思考(しこう)」「先科学的(せんかがくてき)科学(かがく)」と呼ばれるものである。・・・祭官は二要素間の親(しん)縁(えん)関係(かんけい)・対応関係である「絆」(バンドゥ)・「結び」(ニダーナ)に通ずる。・・・現象の背後に隠れた関係を知悉(ちしつ)する祭官だけが祭式を通じて神秘的な力を操作しうる。(片岡啓「宗教の起源と展開」『新アジア仏教史01インドI 仏教出現の背景』平成22年、所収、p.145,)
 

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