仏教豆知識
その4
もっとも、それ以前から、東洋への関心はアメリカにはあったのです。1例を挙げてみましょう。ソロー(H.D.Thoreau,1817-62)という人は、アメリカの消費生活を嫌悪して、しばらく、ウォールデンという湖に近くで、自給自足の生活を送りました。そして、『ウォールデン 森の生活』Walden,or Life in the Woodsを執筆しています。鈴木大拙は、ソローについてこう述べています。
基(き)教(きょう)〔キリスト教〕が神に熱するの余(あま)り、前後を忘却せんとするに比すれば、印度(いんど)宗教(しゅうきょう)の超(ちょう)然(ぜん)脱俗(だつぞく)の趣き(おもむき)ある処(ところ)、大(おおい)にソーロ仙人〔=ソロー〕を動かしたりと見えたり。(「米国田舎だより」『鈴木大拙全集』別巻一、昭和46年、p.197,初出『新仏教』6-5明治38年(1905)、一部現代語標記に改める)
これは明治38年(1905年)ソローの手帳から英文を抜粋し、それに対してコメントを寄せたものです。鈴木の本から、その英文を孫引きして、私訳を付してみましょう。
The calmness and gentleness with which the Hindoo Philosophers approach and discourse on forbidden themes is admirable.
(ヒンドゥーの哲学者達が、落ち着きと穏やかさを以って、禁忌のテーマに迫り論ずるのは、見上げたものだ。)
また、シカゴ万国宗教会議には、このような感想を記しています。
当米国の如きはシカゴの宗教大会にても知らるる如く、宗教信仰の上にも頗(すこぶ)る自由寛
大の精神を有し、仏教の為に好布教地たりと雖(いえど)も〔教理を語る自著〕「大乗仏教大意」の如きものにては殆(ほとん)んどその効を見ざるべきかと予は恐る。ケーラス氏の〔仏教説話を整理した〕『仏陀の福音』の方遥(はる)かに大なる結果を生ぜんも知れず。兎に角(とにかく)、一宗教を他国民の間に布かんと欲せば、その国民の心にて考え、その国民の胸に感じ、その国民の文字にて表出せざるべからず。(鈴木大拙「我日本の大乗仏教徒が世界における宗教的責任」『鈴木大拙全集 補遺1』昭和46年、p.89、ルビ・〔 〕私、現代標記に変更)