看護師として進路@妊娠して考えが変わったこと
私は現在、病棟に勤務する看護師をしている。経験年数は7年目。新卒からずっと病棟勤務で、夜勤もしている。
1~5年目くらいまでは毎日に必死で、将来について深く考えることは少なかったように思う。とにかく「勉強して疾患や治療を理解しなくちゃ」「患者さんの思いを聞きたいけど時間管理をしないと。効率よく仕事をして、患者さんの思いを聞ける時間を持ちたい」と考えていた。
6年目の頃、主人からプロポーズを受け結婚した。その時に自分の将来について考えるようになった。
このままずっとベッドサイドナースでいるの?
もし子供ができたらどうやって働いていくの?
そもそも看護師にはどんな働き方があるのか、深く考えたことがなかったことに6年目でようやっと気づいた。
看護師としての進路
私の個人的見解であるが、看護師としてどんな道に行くのかは以下の3つに分かれると思う。
①スペシャリストになる・・・特定行為看護師、認定看護師、専門看護師といった自分なりのスペシャリティを極める。働き方もその専門性によって変えられる。(病院、施設、病棟、外来、在宅など幅広く活躍できる)論文の執筆や勉強会や講演なども行う。
ただし、その専門性を極めるという覚悟と、資格によっては大学院などへの進学が必要である。
⓶マネジメントをする・・・看護を管理する立場になる。すなわち、出世して管理職となること。特定の看護を極めるというよりは管理する立場になるので、自分にはこの分野!と特定する必要はない。病院、施設など幅広く活躍できる。
しかし管理する上で、スタッフとのコミュニケーションが必須となり、ストレスもかかりやすい。多くのスタッフをまとめるリーダーシップが必要になる。出世するためには上司に認めてもらい、場合によっては試験があったりもするので、認められるまでは地道な努力を要する。
③ジェネラリストになる・・・なんでも診れる看護師になる。管理職でも、専門性を極めるわけでもなく、臨床での経験を積み重ね、幅広い知識を養う。患者や家族にずっと寄り添うことができ、一番身近な立場を維持することが可能、看護を常に直接的に提供できる立場でいれる。
しかし、年齢を重ねると職場では「お局」などと言われる。実際にケアを行うことも多く、体力的には大変なことも多い。役職や管理職に比べると給料面では劣る。
看護師としても一人の女性としても帰路に立つ。
看護師7年目、第一子妊娠中。
ここ数年で、人生に大きな決断をいくつかしてきた。
まずは結婚することを決めた。一人で過ごすことも好きだし、結婚=幸せと思っているわけでもない。結婚も独身でいることも一つの選択と捉える中で、私は主人と一生涯を共にしようと心に誓った。
そして子供を作るという選択をした。子供がいなくても幸せな家族になれると思う。しかし子育てという人生の新たなステージに立ってみたいと思った。
そして第一子を妊娠、産休と育休の取得を決めた。すなわち、看護師としては年単位のブランクを抱えることを決めた。妊娠しなければ任された仕事もあったと思うが、手放すことになった。逆に大変な仕事からも回避できたわけでもある。
ここ数年の私は、看護師としても、一人の女性としても帰路に立っていると思う。そんな中で私が考える将来は何か。
絶対的一番なんて決められない!でも優先することを決める。
「仕事を一番に!」とか、「家族を第一に!」なんて簡単には言えない。
そりゃ全部うまくいけばいいな、なんて欲張りにも考えてしまう。
家族を大切にしながら、仕事も任されてやりがいを持てたら人生最高だろう。それが理想。
でも「絶対的一番」は決められないけど、これからの人生で何かを優先したり、何かを犠牲にする場面が出てくると思う。そんなとき、何を優先するのか。結婚・妊娠し、妊娠後期を迎えた今のわたしの答えは「家族を優先する」である。
妊娠する前の自分は、だんだんと仕事に対し余裕が生まれ、自分でやりたいと思うことも増えてきたころだった。なので、先述した看護師の将来性の中では、①⓶になりたいと思っていた。看護を直接提供するのも大好きだけど、自分の得た知識を他者へ啓蒙することで、啓蒙した看護を何人もの人が実践すれば、直接わたしが一人で看護するよりよっぽどたくさんわたしのしたい看護が提供できると思ったからだ。あとは、もっと看護を勉強してみたい、極めてみたいと思っていた。
でも妊娠し、お腹に芽生えた命と毎日向き合うことで少しずつ考えが変わった。胎盤で繋がれ、一心同体のわが子。この子を守れるのは今はわたしだけだ。仕事で私が休んだら誰かが変わりに働いてくれる。医療という現場では、「この人がいなきゃ現場は回らない」なんてことはあっていけないと思っている。常にある程度の看護の質を、24時間維持する必要がある。だから、「絶対に私がいなきゃ」ということはない。
しかしお腹の中のわが子には私しかいないと思った。仕事とは違う責任がズシンと圧し掛かったように感じた。わたしにはその重みが嬉しく感じた。妊娠したことで、自由を愛して、自分のやりたいことをがむしゃらに頑張ってきた自分とは違う面の自分を見つけることができ、新しい自分に喜びを感じたのだ。
仕事は何のためにするのか?と自分自身に問いたとき、今までのわたしは「自分のため」と答えたと思う。お給料をもらって、美容院に行ったりエステに行ったり、おいしいものを食べたり、お酒を飲んだりといった楽しいことをしたいと思った。
でも妊娠したことで、何のためび仕事をするのか?という問いへの答えは「家族のため」に変わりつつあると思う。完全に「家族のため」と言い切れない自分もまだいるが、家族の割合が大きくなっているのは確かである。仕事を頑張って、家族で旅行に行きたいとか、おいしいものを家族で食べたい、お腹の子のために貯金して将来やりたいということをやらしてあげたいと思うようになった。私にも母性と家族への気持ちが大きく芽生えているということである。
だからわたしは、絶対的一番は決められないし、全部うまくやりたいけど、それが難しい状況になったら「家庭・家族」を優先しようと思う。今でも①⓶になれたらいいなと思うけれど、家族を優先するために、自分のしたいことを諦めたりすることもあると思う。③も立派な進路だ。いやむしろ、①-③以外の進路として、仕事を辞めているかもしれない。それでもいい。それは結婚をし、子供を作るという選択をした自分自身が決めたことである。「全部うまく上手にやる」なんて、そう上手くいくわけない。それが人生だと思う。結局、今の時点で①-③のどれに進むかなんて決められない。
(ここまで読んでくれた方、期待を裏切ってしまってすみません)
今後、私の考えは変わるかもしれない。そのときはまた文章に残してみたい。
ライフステージや、日々の変化に柔軟な人間でいたいものである。