#10 いつかはグランパスに恩返しを 【あべしょーのKick Story】
阿部翔平選手のこれまでの人生やキャリアを振り返りながら、「阿部翔平のキック理論」が確立されてきた背景を探るシリーズ、「あべしょーのKick Story」。名古屋編の最後となる第10回は優勝後からグランパスを離れるまでのシーズンを振り返ります。阿部選手が「なにかのタイミングでいちばん伝えたかったこと」と話す、サッカーが上手くなる・自身が成長するための考え方も話していただきました。
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――Jリーグチャンピオンとして迎えた2011シーズンは王者としての難しさがあったと思います。阿部選手はどのようなことを意識して2011シーズンを戦いましたか?
よく言われるように、「連覇できるのは前年度に優勝したチームしかいない」というのは意識しながらも、金色のJリーグパッチを(ユニフォーム袖に)つけてプレーできることには誇りを持ってプレーしました。選手も多少は入れ替わりましたが、基本的に主軸の選手は変わらなかったので、前年(2010シーズン)のサッカーを継続してやっていこうというのは意識していました。
2011年のチームは本当に強かったと思います。ある意味で2010年よりも完成度は高くて、「2010より2011のほうが強かった」と当時の(ストイコヴィッチ)監督や僕も言っていたと思います。実際に戦い方がより盤石になって、淳吾をはじめとする新しいエッセンスが加わったという感じです。優勝は叶いませんでしたが、悪い出来ではなかった感触はありました。
――その2011シーズンの開幕直後には東日本大震災が発生し、Jリーグだけでなく日本全体が多大な影響を受けました。阿部選手自身への影響やその後の心境の変化はありましたか?
本来ならば東日本大震災の翌日にベガルタ仙台との試合が行われる予定でした。僕たちは前日移動で、11日にはすでに移動しはじめていました。名古屋で新幹線に乗って、出発してから10分ぐらいで地震が起きて新幹線が止まってしまいました。そこから身動きがとれない状態になってしまいました。
震災の直後は「これからどうなるのだろう」「サッカーをやっている場合じゃないな」という気持ちになりましたね。ただ、よくよく考えると、僕たちが一生懸命やっている姿は誰かの力にもなるかもしれないし、何かプラスの力が生まれるのならば、それは嬉しいことなので、「サッカーをしよう」という気持ちに徐々になっていきました。最終的にはプレーすることで誰かを勇気づけたいという思いはありました。リーグ戦が再開すると僕らもそうですが、ベガルタも快進撃を見せていましたし、ベガルタ仙台がある種の希望になっているなというのは見ていて思いました。
――2011シーズンには藤本淳吾選手が名古屋グランパスに加入して、阿部選手にとっては筑波大学時代以来に同じチームでプレーすることになりました。
淳吾とはもともと代理人の会社が同じで、もちろん大学の同期でもあるので、加入が正式に決まる前にも連絡をもらっていました。一緒にご飯にも行きましたし、彼の気持ちの面という意味ではある程度わかっていました。
大学を出た後、淳吾と一緒にプロでサッカーすることはないと思っていて、可能性はゼロに近いんだろうなと思っていました。淳吾はエスパルスで入団時から10番を背負っていましたし、可能性があるなら僕が名古屋から移籍することになって、淳吾とチームメイトになる感じだろうと思っていました。実際には淳吾が名古屋に加入することになりましたが、もう一度チームメイトになれたのは嬉しかったです。大学でずっと一緒にやっていたこともありますし、大学時代の懐かしい感覚をプロのステージで一緒に表現できたのは嬉しかったですね。
――最後の2年間は優勝した2010シーズンや翌2011シーズンに比べてなかなか結果がついてこなかったシーズンだと思います。
2009年にも出場しましたが、2012年と2013年にはACLも入ってきてリーグ戦との兼ね合いがうまくいかなかったと思っています。優勝して国内で順位が上になるほど、ACLの日程がリーグ戦とは別で組み込まれる。そしてACLの試合の2日後には日本でリーグ戦があって…というように、難しい日程でした。そのなかで「勝てるという雰囲気」を掴むことが難しくなったという印象はあります。
――名古屋在籍期間を通して、影響を受けた選手やキックが上手だと感じた選手はいましたか? また、阿部選手自身は自らのキックやプレーをどのようにブラッシュアップしていきましたか?
誰だろう……。
――自分がいちばんですか?
そうだね(笑) ……いや、これは冗談ですけどね(笑)
選手にもそれぞれいろんな特長があります。淳吾の強みのキックはこれ、玉田選手はこのキックが上手い、闘莉王選手はこれ、ダニルソン選手はこのシュートが強いというように、それぞれの選手がストロングポイントとしているキックをどう蹴っているのかというのは、見たりまねをしたりしました。つまり「いいとこ取り」ですね。
――「いいとこ取り」が阿部選手の成長の秘訣なんですね。
僕は学生時代、特に中学・高校と、キックが上手い人のまねをして成長してきたと思っています。キックだけではなく、あるプレーひとつとっても「そのタイミングでこういうふうに出すんだ」というように真似していました。もちろん、プロの選手や当時の自分にとって上のレベルの選手を見て学ぶこともありますが、それには自分で表現できないこともあると思います。だから、同じステージに立っている人のまねをする。自分が戦っているステージと同じレベルなのでまねもしやすいですし、すぐに自分のプレーに直結します。プロになってからも一緒で、横で一緒にプレーしている選手たちを見てまねしたり技術を吸収したりして成長してきました。
上のレベルの選手に憧れて、それをまねするのもいいのですが、そのときの自分が実際に使えるのか、そのステージで通用するのかというのはわかりません。同じステージで戦っている選手の有効なプレーをまねするのがいちばんの成長に繋がるのではないのでしょうか?
――名古屋在籍期間を通じて、最も印象に残っている勝ちと負けの試合について教えてください。
勝った試合で言うと、やはり優勝を決めた試合の印象が強いですね。負けはACLです。サウジアラビアでの試合ですね。Jリーグだとフロンターレとは個人的には相性が悪かったなという印象があります。
――「あべしょーのKick Story」の名古屋グランパス編は今回が最後になります。名古屋グランパスのファン・サポーターの皆さまにメッセージをお願いします。
名古屋のサポーターには今でも応援してくださっている方もいて、本当に嬉しく思っています。あるとき、最初に出会ったときは5歳だった女の子が高校を卒業して、さらには結婚の報告もくれたことがあり、そのときは「そんなに長くプロでサッカーをしているんだな」というのを実感して逆に感動させてもらえました。今は名古屋でサッカーすることはできないので、プレーという形でお返しすることはできませんが、いずれは名古屋でも恩返しできればいいなと思っています。阿部翔平という左サイドバックがいたということをもう少しだけ記憶に留めていただけると嬉しいです。
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次回の「あべしょーのKick Story」はヴァンフォーレ甲府在籍時のエピソードについてうかがいます! ピッチ内のお話だけでなく、ピッチ外での甲府の街の印象についても振り返っていただきました。どうぞお楽しみに!
(次回の更新は今月末を予定しています)
監修・制作:阿部翔平(SHIBUYA CITY FC)
取材・制作・編集:川上皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)
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