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#3 「地獄へようこそ」 【あべしょーのKick Story】

阿部翔平選手のこれまでの人生やキャリアを振り返りながら、「阿部翔平のキック理論」が確立されてきた背景を探るシリーズ、「あべしょーのKick Story」。3回目の今回はいよいよ阿部選手の市立船橋高校時代を特集します。市立船橋高校サッカー部編は主にメンタル面を取り上げる今回(第3回)と、全国高校サッカー選手権大会のエピソードも含め、キックの技術を中心にフォーカスする次回(第4回)の2回に分けてお送りします。横浜出身の阿部選手がなぜ千葉県の市船まで進学することを決めたのか、その市船で待ち受けていた予想以上の「差」、そして阿部選手がいちばんきつかったと語る合宿の3部練習とはいったいどんな練習だったのか。どうぞ、以下のインタビュー(高校生編 前編)をご一読ください!

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1. 横浜から市船へ

――阿部選手は中学卒業後、サッカーの名門 船橋市立船橋高校に進学します。市船に進学を決めた理由は何ですか?

おとなしい性格は昔からそれほど変わっていませんでした。なので、一般的に厳しいと言われる高体連の高校サッカーの世界で生き抜いていけないんじゃないかというのはまわりから言われていましたし、自分でも思っていたと思います。実は、母方の実家が船橋で、市船のすぐ近くにありました。だから、選手権などの大会を見るたびに市船の話題が上がるような家庭でした。自分でももしチャンスがあるんだったら市船に進んでみたいとも思っていたので、最初はそう希望していました。ただ、まわりのサッカー関係者には「現実は厳しいよ」と言われていました。そういった経緯でもともとはフリューゲルスのユースに決まっていました。ですが、フリューゲルスが吸収合併でなくなってしまったので、いろんな方の助けも借りながら最終的には市船に進むことになりました。

――「いろんな方の助け」とはどういうことでしょうか?

フリューゲルスの吸収合併が10月か11月頃で、その頃は市船の推薦のセレクションもほとんど決まっているような時期でした。すでに申し込みが終わっていたか何かでセレクションに参加できなかったので、いろんな方の尽力を経てセレクションに無理やりねじこんでもらいました。ですが、最終的には推薦入学ではなく、いわゆる一般入学で入りました。「推薦枠が結構埋まっているから、普通に受験してほしい」と言われ、それが理由でちょっとだけ塾に通っていた時期もありました。それで普通に受験して、一般で市船に入学しました。

2. 「地獄へようこそ」

――市立船橋高校サッカー部の第一印象は覚えていますか?

先輩の「地獄へようこそ」のフレーズが忘れられません……。これは確か、入学式の日でした。体育館で入学式をして、教室に戻っている途中に上級生とすれ違うときに「地獄へようこそ」と言われました。先輩はそのまま去っていったんだけど、僕らは「そんなにやばいのか!?」と少し驚きましたね。

あと、部活そのものの印象で言うと、サッカー面では上手い人がたくさんいることももちろんですが、選手たちの走れるレベルがすごかったですね。上級生に走り勝つことが無理でした。普段からかなり走っていたので、走れるベースが違うという印象でした。1個上の上級生の遅い選手に、やっと1年生でも走れるほうの選手が勝てる、それぐらいの差でした。基礎体力が違うというのはかなり実感しました。

――市立船橋高校サッカー部で大変だった、きつかったといった思い出やエピソードはありますか?

いろいろありますが、夏の合宿がいちばんきつかったです。福島の高杖(たかつえ)にあるスキー場に夏に行って、当時は電波も入らないような山の中に隔離されて合宿中は練習をしていました。朝ごはんには大盛り何杯かのご飯をなんとか食べて、少し休憩したら長めの練習をして、それから昼ごはんを食べて、午後も練習して……といった流れでした。午後練習が終わってすぐにランニングがありました。スキー場の山の中を20キロ近く走っていたような気がします。他にも、ゲレンデの坂道を100メートルぐらいダッシュするといったこともしていました。当時のことなので、サッカーの対戦形式で負けたらダッシュをして、一部の先輩には勝っても負けてもダッシュさせられていたり、ボトルの中の水がなぜかなくなっていたり……そういったこともありました。そういう極限の環境だと、みんなの本性が出てしまって、この人は本当はどういう人なのかがよくわかってしまいました。きつかった合宿も今となってはいい思い出です。

3. 1パーセントのために

――高校時代を通して、サッカーの技術以外で学んだことはありますか?

何度も繰り返せる、最後まで諦めないのようなメンタルがついたと思います。そういう意味で合宿は大きかったです。合宿は特別なイベントだったけど、基本的に毎日が「戦場」みたいな日々で、本当に追い込まれていました。諦めたら「死」を意味するではないけど、それに近い感じです。

その中で、1パーセントでも自分が走ってゴールを阻止できる可能性があるんだったら、それは戻らないといけないという考え方が習慣になったという感じはあります。「1パーセントしか可能性がないなら祈ったほうがいいんじゃない?」と思うチームもあるかもしれませんが、そうではなくて、ちゃんと自分が自陣に戻らなければならないというメンタルは身につきました。

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次回、5月14日(金)に公開予定の「あべしょーのKick Story」では阿部翔平選手が市船のキャプテンとして出場した全国高校サッカー選手権大会のエピソードをお届けします。高校生当時の話だけでなく、ヴァンフォーレ甲府時代にチームメイトになるあの選手との裏話も?どうぞお楽しみに!

高校生編の後編はこちら

なお、来週5月7日(金)は「阿部翔平のキック理論」を公開予定です。そちらもぜひご覧ください!


監修・制作:阿部翔平(SHIBUYA CITY FC)

取材・制作・編集:川上皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)


阿部翔平 公式YouTubeチャンネル「阿部翔平/Abe Shohei」

阿部翔平 公式Twitter(@abeshohei21)

SHIBUYA CITY FC 公式サイト

阿部翔平(あべ しょうへい)
1983年12月1日生まれ。神奈川県横浜市出身。主なポジションは左サイドバック。横浜フリューゲルスジュニアユース、市立船橋高校、筑波大学を経て2006年に名古屋グランパスでJリーグデビュー。2009年には日本代表にも招集されると、2010年には左サイドバックの主力として名古屋のJ1優勝に貢献した。ヴァンフォーレ甲府やジェフユナイテッド千葉でもプレーしたのち、2019年に当時東京都2部リーグ所属のTOKYO CITY F.C.(現 SHIBUYA CITY FC)に加入。Jリーグ通算355試合出場4得点。

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