#6 名古屋グランパスに加入して 【あべしょーのKick Story】
阿部翔平選手のこれまでの人生やキャリアを振り返りながら、「阿部翔平のキック理論」が確立されてきた背景を探るシリーズ、「あべしょーのKick Story」。第6回は阿部翔平選手のプロ1年目(名古屋グランパス、2006シーズン)にフォーカスを当てます。
前回のインタビューはこちら
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夢のJリーグの舞台へ
――名古屋グランパスに加入するまでの経緯を教えてください。
大学時代の度重なる怪我の影響もあり、Jクラブの練習にはグランパスの練習にギリギリ参加させてもらえたという印象です。当時は他にも、あるJ2クラブからオファーをいただいていましたが、より上のステージで戦いたいという思いからそのときは名古屋を選ばせていただきました。
――プロ入りが決まったときの心境を教えてください。
https://nagoya-grampus.jp/backnumber/event/2006/0115kaiken/index.html
2006年新加入選手 入団記者会見 オフィシャルレポート
(名古屋グランパス公式サイトより)
率直に夢が叶い、感情が爆発したというよりはどちらかというとしみじみとした感情になりました。練習参加したときも手応えは悪くなかったですし、むしろ良くて、自信があったからだと思います。これでダメだったら縁がなかったのだと割り切っていました。
プロの世界に入って
――プロ1年目の阿部選手がプレー面で驚いたことはありますか?
技術的にはさほど劣ってるわけではありませんでした。しかしそれ以上に、試合の中でどう動くのか、どのタイミングでパスを出すかといった細かい部分までこだわらないと全然通用しないというのは感じました。なのでボールを取られる数も多くなってしまいましたね。大学レベルでは全然取られないのに、プロだとなぜか取られてしまうといったことが多々ありました。
――その「細かい部分」において参考にしていた選手はいますか?
大森(征之)さん(現 名古屋グランパス チーム統括部スポーツダイレクター)を見習っていました。同じサイドバックでしたし、左サイドバックのポジションを3〜4人で争っていたのに対して、右サイドは安定して大森さんが試合に出ていたので、いろいろアドバイスをもらいました。相手への寄せ方も参考にしましたし、30メートル先の味方にパスをつなぐときにバウンドを何回させて味方選手に到達させるかという話を聞いたときには、「そこまでこだわっているんだな」と衝撃を受けました。僕とは違うものさしでサッカーをしているということはとても感じました。大森さんはサッカーインテリジェンスがあって賢い選手で、自分もどちらかといえば頭を使ってプレーするタイプだと思うので、プレー自体だけでなく、プレー中の思考面もとても参考になりました。
――実際にプレーしてみて学生時代との違いは感じましたか?
僕のプレーにおいては、純粋にロングボールの部分は長けていたとは思います。ただ、そもそもチームが目指していたサッカーがロングキックに重きを置くものではなく、監督の影響力の大きさが学生時代までとは全然違うということを感じました。監督が目指すプレーを実現させることがより重要視されていました。大学までは成功すればそれはAでもBでも良かったですが、こだわりを持ってるプロの監督だとAかBという選択肢の中では Aを選択しなければいけないですし、Aを成功させなければならない。それが難しかったです。プロ1年目の当時は「BではなくAを選択すればいいだろう」と思っていましたが、実際には「Aを選択し、なおかつAを成功させるためにはどうしたらいいか」を考えないといけなかったんだなということが15年経った今ならわかります。
ただ、監督のサッカー観ではAが正解なのに対して、プレーとしてはBが正解のときもあります。そのようなとき、僕は監督が求めるAを選択していましたが、本田(圭佑、現 ネフチ・バクー)はBが正解だったらBを選んでいましたね。結局のところ、自分を強く持つことが重要だと思います。監督が言うことを追い求めて良くなる選手もいるだろうし、自分のベストを追い求めて良くなっていく選手もいる。今なら少し理解できる気がしますが、それでもやっぱり難しいですね。
プロ生活と先輩からの学び
――阿部選手はどのようなプロ1年目を過ごしていましたか?
1年目、2年目はずっと走っていました。全体練習でひとしきりボールを蹴って、他の選手が帰る時間くらいまでは練習してから、そこからさらに10キロ前後は走っていました。寮に帰ってからも筋トレなどでしっかり体を作ることを意識していました。学生時代までの体づくりだとプロでは甘いのだと認識したので、もう一段階レベルを上げたいと思っていました。
――プロ1年目にストロングポイントである左足のキックはアピールできたと思いますか?
左足のキックはあまりアピールできていませんでした。当時のサッカーではあまり活きないなというのは感じていて、それよりもフィジカル面を存分に発揮していこうとしていました。基本の4バック以外にも3バックになるときがあったので、そのときはウイングバックではなく3バックの左で出ていました。練習試合などではそのポジションで信頼を得ることができていたと思います。
DFラインで言うと、秋田豊さん(現 いわてグルージャ盛岡監督)という選手がいて、同期入団で小学校の頃から横浜選抜などで仲が良かった竹内(彬、現 カマタマーレ讃岐)という選手と3人でDFラインを組んだことがありました。秋田"師匠"に教えを乞うて、多くのことを学びました。秋田さんはラインの上げ下げにとてもこだわっていたほか、ベテランだけどよく走って声も出している、そのような姿を見て勉強していました。
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次回の「あべしょーのKick Story」では阿部選手がJ初出場を果たした2006年開幕戦、そして初スタメンとなる第3節鹿島アントラーズ戦の裏話をお届けします!試合に出場した心境だけでなく、鹿島戦の同サイドでマッチアップした内田篤人さんの印象や、同じサイドで出場していた本田圭佑選手についてもうかがいます。どうぞお楽しみに!
※来週は「阿部翔平のキック理論」を公開する予定です。
6月4日追記:6月第1週の更新は諸般の都合によりお休みします。次回は6月11日に「あべしょーのKick Story」の第7回を公開します。
監修・制作:阿部翔平(SHIBUYA CITY FC)
取材・制作・編集:川上皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)
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