#7 グランパスデビューと1年目の積み重ね 【あべしょーのKick Story】
阿部翔平選手のこれまでの人生やキャリアを振り返りながら、「阿部翔平のキック理論」が確立されてきた背景を探るシリーズ、「あべしょーのKick Story」。第7回は阿部選手のプロ1年目から、J初出場を果たした2006年の開幕戦と初スタメンの第3節 鹿島アントラーズ戦をピックアップします!
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――2006年の開幕戦(vs セレッソ大阪)で阿部選手は初のリーグ戦出場を果たしています。当時の心境はどのようなものでしたか?
セレッソ大阪戦 試合結果
セレッソ大阪戦 試合レポート
「ついに来たな」という感じでした。少ししかボールに触ってないと思うのですが、ペナルティエリアの前で玉田さん(圭司=現 V・ファーレン長崎)に横パスしたボールが相手に取られなくてホッとした記憶はあります。
――続く初スタメンを飾った第3節(vs 鹿島アントラーズ)についても教えてください。
鹿島アントラーズ戦 試合結果
鹿島アントラーズ戦 試合レポート
正直なところ、「どうしてスタメンだったのかな」という気持ちはありました。「良いところがあってスタメンに選ばれた」というわけではなく、「悪いところがあまりないから試しに左サイドで使ってみようか」という感じだったと思います。それでも第3節でスタメンで出場できたというのは、相手が鹿島ということもあり、自分としても大きな意味があったと思います。
――この試合は豊田スタジアムでの一戦でした。当時の印象に残っていることはありますか?
どこか夢の中でサッカーをしているような感覚でした。もちろん集中はしていましたが、なんとなくぼーっとしている感じもあり、初めて抱くような気持ちでした。緊張はそこまでしていなかったと思います。個人的には、試合中のプレーそのものも悪くはありませんでした。ただ、同サイドでマッチアップした内田選手(篤人=現 JFAロールモデルコーチ、シャルケ04アンバサダー)も当時高卒ルーキーの18歳で、注目度も特に高かったので、「プロ1年目同士、お互いに頑張ろう」とは勝手に思っていましたね。
あとは、小さい頃によくJリーグを観に行っていたニッパツ(当時 三ツ沢公園球技場)と豊スタに、全く異なるスタジアムではありますが何かしら繋がるものは感じました。
三ツ沢公園球技場は天然芝なので雨で濡れたときにピッチが光っていたんです。夢の中にいると錯覚するような、あのキラキラ光るピッチでサッカーをしたいという気持ちがありました。
ーーあべしょーのKick Story #2「世界が違った」より
豊スタはピッチがスタンドにがっちり囲まれていて湿気もこもりやすかったので、芝生の光り方も三ツ沢と似ていたのかもしれないですね。
――その内田篤人選手と実際にマッチアップしてみてどうでしたか?
良い意味でも悪い意味でも「普通」だったように思います。18歳の新人があの舞台で普通にプレーできているのがすごかったんだと後々になってわかりました。内田選手は相手をドリブルで抜き去っていくタイプの選手ではないと思いますが、ミスは少ないですし、パスのチョイスやパスを出すタイミングにセンスの片鱗を感じました。内田選手の斜めのパスというか、FWにいれるくさびのパスが特に印象に残っています。
――同じサイドバックの選手として、内田篤人選手のストロングポイントはどこにあると感じましたか?
内田選手はキックの質を売りにする選手というよりは、ドリブルやトラップを駆使して相手を外すところに特長があったのではないかと思います。味方にグラウンダーのパスを入れられるスペースに持ち出すためのちょっとした工夫を当り前にこなしていました。他の選手だったらボールを足元に置いたままパスコースを探すところを、内田選手は少しだけ左右に持ち出したり、トラップでスペースにボールを置いたりしてからパスを供給していました。それがある意味で「普通」だと感じた理由だと思います。何気ないプレーの質が高かったです。
――この試合の後半、阿部選手は本田圭佑選手(現 ネフチ・バクー)とポジションを入れ替えてプレーしました。
Q:後半は阿部選手と本田選手のポジションを入れ替えていたようですが?
A:阿部に関してはこのレベルでの初スタメンだったので、雰囲気に慣れるためにも前の位置へ出させた。本田に関しては、攻撃判断が遅れている場面もあったため、阿部を前線へ出させた。
――鹿島戦後のフェルフォーセン監督コメントより
練習試合でも前後を入れ替わってプレーすることはしばしばありました。お互いに手探り感はあったと思います。実際は本田が前のポジションでプレーしたほうがうまくいきそうというのはお互いに感じていました。ただ、本田が前線に出たときに僕がバランスをとって後ろに下がるという形もできていたので、監督からは臨機応変に本田とポジションを入れ替わりながらのプレーを求められていたのかもしれません。それに本田は体が強かったですし、1対1でもボールを奪えていたのでそういう意味もあったのかもしれません。
――プロ1年目はリーグ戦9試合に出場し、出場時間は364分にとどまりました。定位置確保には至らなかったことについて、阿部選手はどのようにとらえていましたか?
なかなかうまくはいかないですよね。9試合に出場できたのはどちらかというとたまたま運がよかったからというのは自分でも理解していました。シーズン序盤の試合出場が途切れてからは、改めて出直さないといけないと気持ちを切り替えました。そこからもう一度、体力づくりや筋トレなどにより集中して取り組むようになりました。
その一方で、レギュラーから遠くなることによって、自分の中にあった窮屈さがなくなったかもしれません。決まりの多いサッカーだったので、レギュラーで出たときはその決まりに沿ったプレーが求められて、絶対にミスはできませんでした。そういう中で「窮屈さ」から一度離れたうえで、もちろんミスが許されたわけではありませんが、いろいろなプレーを試してみてコーチの反応を知ることができたと思います。そこでの積み重ねは確実にありました。
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次回の「あべしょーのKick Story」は阿部翔平選手の2007シーズンから2009シーズンまでを取り上げます。これらのシーズンはACL出場や日本代表への招集など、阿部選手の活躍の幅がいっそう広がる時期です。この間、どのようなことを思いながらプレーしていたのでしょうか。どうぞお楽しみに!
監修・制作:阿部翔平(SHIBUYA CITY FC)
取材・制作・編集:川上皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)
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